「世間への違和感さえ持っておけばいい」という、つい先日に逝かれた演出家・松本雄吉さんのインタビューで、この言葉を目にして、不思議な親しみを感じた。松本さんの率いる「維新派」は演劇集団と呼ばれていたが僕はてっきりダンスだと思いこんでいたし時々いま観ているそれは音楽だと勘違いしていた。維新派の客席に座ること自体が何だか楽しかった。カラダからカタチや声がスカッと抜けて運動場や山肌や青空にエコーみたく消えてゆくのを何も考えずに見惚れていた時間は、ちょっとした遠足みたいだった。沢山の人が協力して広大な場所に作る維新派のステージから多くを学んだ。僕はソロダンサーだが、一人で踊っていることは無い。舞台に立つ一人のダンサーは全ての瞬間をスタッフの意識とシンクロしていて個人ではない。そして観客との瞬間瞬間の呼吸が無ければ、踊りは踊りにならない。そんな色々を、維新派のステージをぼんやり見つめながら、いつも反芻していた。人と人が、人と環境が、響き合うことの臨場感を浴びていた。だから、演劇とかダンスとか音楽とかそれらの境目も間も全部溶けて一緒に味わっていたのかもしれない。そんな時空を楽しませてくれていた松本氏が放つ「世間への違和感さえ持っておけばいい」という言葉に僕はとても共感できる。なぜだろう、なぜだろう。(松本さん、おやすみなさい、、、)