響き、ということを巡ってこのブログに書くこと多々あるが、やはり興味はつきない。
クラスでも、響きに関わる話がつい出る。今日のクラスでは、響きと動きの様々な関わり方を話し合ったり試行錯誤したりしながら踊り楽しんだ。
響きと言っても、エコー/こだま、リヴァーブ/残響、ソナー/振動、とか、、、色々な言い方があるよね。とかいう会話から稽古が広がって参加者の動きや表情や熱気が随分変化した。身体が動くときは空間も動くのかな。そんな感じもした。
踊りの場で「動く」ということは当然単に運動と言えるはずはなく、身体と何かの関係のあらわれ、と思わずにいられない。その「何か」の代表格に響きがある。稽古中も、「もっと動いて」とか「ジッとして」と言えば済むところを、もっと「身体を響かせて」とか「身体に響きを受けて」とか「響きに身体を溶かそうよ」とか色々な言い方に、つい、なる。
ひびき。ひびく。ひびけば、、、。
踊りを見ていると、いまこの人は何に響き合っているのかしら、とか、このカラダはいまどんな響きに満たされているのかな、とかいう想像が湧いてくる。環境と自我と肉体の戯れ遊ぶありさま。表現の以前の表出。意味以前の衝動。交響し合うこと。情感、楽しみ、愉しみ、愛おしみ、揺さぶり、、、。いろいろなことに響きはひろがってゆく。
踊っている時にも、いまカラダは何に響いているのかな、とか、このカラダはどんな響きを響かせようとしているのかな、とかいう次元に興味が振れる。カラダには、もちろんココロもアタマも込み。
踊りではカラダと響きがいつもどこかで寄り添って積極的に関係しているのではないかという感じが、僕にはしてならない。
クラスでも、響きに関わる話がつい出る。今日のクラスでは、響きと動きの様々な関わり方を話し合ったり試行錯誤したりしながら踊り楽しんだ。
響きと言っても、エコー/こだま、リヴァーブ/残響、ソナー/振動、とか、、、色々な言い方があるよね。とかいう会話から稽古が広がって参加者の動きや表情や熱気が随分変化した。身体が動くときは空間も動くのかな。そんな感じもした。
踊りの場で「動く」ということは当然単に運動と言えるはずはなく、身体と何かの関係のあらわれ、と思わずにいられない。その「何か」の代表格に響きがある。稽古中も、「もっと動いて」とか「ジッとして」と言えば済むところを、もっと「身体を響かせて」とか「身体に響きを受けて」とか「響きに身体を溶かそうよ」とか色々な言い方に、つい、なる。
ひびき。ひびく。ひびけば、、、。
踊りを見ていると、いまこの人は何に響き合っているのかしら、とか、このカラダはいまどんな響きに満たされているのかな、とかいう想像が湧いてくる。環境と自我と肉体の戯れ遊ぶありさま。表現の以前の表出。意味以前の衝動。交響し合うこと。情感、楽しみ、愉しみ、愛おしみ、揺さぶり、、、。いろいろなことに響きはひろがってゆく。
踊っている時にも、いまカラダは何に響いているのかな、とか、このカラダはどんな響きを響かせようとしているのかな、とかいう次元に興味が振れる。カラダには、もちろんココロもアタマも込み。
踊りではカラダと響きがいつもどこかで寄り添って積極的に関係しているのではないかという感じが、僕にはしてならない。