たったひとつのイメージがカラダを通過することによって躍動し変容し、思いがけない方向に広がったり新しい何かを呼び込んでゆくことがある。
ダンスのレッスンをしていると、そんな体験が多々ある。
今日もそんな夜を過ごした。
単純な課題から様々なポーズを自由につくり、身体の造形感覚を促す練習をしたのだが、それが動きのリズムや発想のテンポや身体のメカニズムや、イマジネーションと自己の関わりを巡る思考の問題など、多様な膨らみを帯びて、稽古場がちょっとした知の遊び場のようにも感じられた。
身体には無数の関節がありそれら相互が様々な角度を生み出し関わりながら面白い造形美を空間に刻むし、動きには速度や力感が伴うから、音楽的な情緒が生まれたりもする。そこから喚起される感情のひだが日常の喜怒哀楽や記憶や予感に結びついて、ある世界が開かれてゆくこともある。踊っていると自分のことが見えてくる、踊っている姿を見ていると会話レベルでは分からないその人の魅力が垣間見えたりする。動き、話し、見せ合い、印象を語り合い、また動き、そんな体験を繰り返しながら、ダンス独特の時空が発生する感覚を味わってもらう。
バランスのこと、エネルギーのベクトルのこと、集中力のこと、メリハリのこと、さまざま、テクニックを巡る会話も、もちろん出てくる。アドバイスする。また動く。
途中、寄り道して様々な絵画や写真を見たりもした。
ボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、若冲、などに描かれた身体の魅力。古典舞踊のポーズにある造形の秘密。観察したり、真似たり、色々しながら驚き笑い感心し、、、やがて少し踊りに反映が出てくる。
動いたり、見たり、話したり、さまざま膨らませながら時を過ごすうち、参加者の一人一人の身体が徐々に冴えた動きを見せてゆく。
興味が刺激され、発想が触発され、身体が動きを獲得してゆく。逆に、動きから発想が開かれてゆくことも。カラダはアタマと一緒にほぐれ、心も感覚もまた、ほぐれてゆく。溶け合ってゆく。
心情の表出ばかりでなく、身体は造形美や律動感など多数の方向に開かれている。だからダンスは美術にも音楽にも文学にも向かうことができる。
さまざまな動きを学びながら、自分の身体に微睡む美しさや面白さに気づいて引き出してゆくのはダンスの練習の醍醐味でもある。花のように、樹木のように、鳥のように、猫のように、人の身体もまた美しく愛らしいのだから。
イマジネーションと身体と自己の関わりを楽しみ探る。それはダンスの練習の面白さのひとつと思う。
ダンスはカラダの遊びでありながらアタマをほぐし自己を柔らかくする遊びでもある。レッスンは学び場でもあり遊び場でもある。
好奇心を、うんと広げて楽しんでもらいたいと思う。