音楽と舞踊はなんてエロチックな関係なのかと、それを改めて思ったのがエンリケ・コホの踊る短い映像だった。

クラスメンバーが、素敵な人がいるわよ、と教えてくれたフラメンコの男。と言っても、そんな呼び名に納まるカラダではない。高名だが、僕は初めて観た。映像でコレなのだからナマを観たら凹むかもしれない。

アルマジロ、いや違うか、植物のタネのようにギュッと内に極まった肢体。それがカスタネット一音で破れて空も裂いた次はもぅ肉も声も音も一気に乱流し、その変容は凄みに凄み、僕は蛇に睨まれたようになった。

響く、という行為か。集中力によっては、響きは爆薬にも近いと思う。

自作の舞台でも、カラダと音が触れた、と感じる瞬間は何やら怖いようなことがある。
得体の知れない何かのどよめきが揺さぶりをかけてくる、元に戻らなくなってしまうのか、と。

耳を澄ましてこそカラダは動く。という人がいるが、実感としては逆で、動いていてカラダのなかの、あるスイッチが入ると音がどっと押し寄せるのだ。しかし、その波のタイミングのなかでしか、踊りは出てこない。

アタマのなかのヴィジョンをなぞってゆくと安全にカラダは動くが、身体に事件は起きない。
うまく言語化できないが、より敏感に、よりセンシティブになってゆくような動き方の神経があって、音や響きを呼び込むタイミングが訪れるのだが。
それを、先の踊り子エンリケはカスタネットの一振りと軽やかな指のうねり一振りで、やってのける。
そう観た。おそるべし。

あんなふうに、世界の震えを仲介したい。