すこし前に銀座の資生堂で行われた展覧会が印象深く、ひと月ほども経ちますが、まだ、というか、何故か日増しに胸の奥のほうに語りかけてくるのです。
須田悦弘氏がキュレーションを担当した展覧会「せいのもとで lifescape」。
出品者は須田氏ご本人、クリスティアネ・レーア氏、志村ふくみ・洋子氏、珠寳氏、宮島達男氏。
珠寳氏は、銀閣寺の花方で阪神淡路大震災をきっかけに、花に導かれていった方とききます。 その献花を記録した映像が何と美しいこと。
「切り取られた命を再びきらきらと輝かせるために」という氏の言葉を調べたのですが、まさにそのまま。行為の純粋さに息をのみ見つめるこちらと映像の間に小さな花器がひとつ。鏡のように水だけ張って、ある。清楚な、見事なインスタレーション。我を忘れてしまいました。
振り向くと、虚空から無数の絹糸。この場所と彼方の場所のあいだに、あるいは、時間の裏側とこちらのあいだに、天上から膜が降りたように見える。その絹糸一本一本が、淡く染められて虹を成す。
これは、目当てだった志村ふくみ先生と娘さんの洋子さんが親子でされた作品「經(たて)」。
たて、即ち、織物のたていと。時の経過、すじ道、月経、かつて経験した何か。
大きな大きな宇宙のデリカシー、繊細ゆえに強い生命、物質なるもの、色彩なるもの、神秘なるもの、、、語ってはならない領域。
(先生は、この上ない色を自然の花から純白の糸に移されながら「白のままでは生きられないから」という言葉をテレビで言っておられた。溜息。)
その遠くにチラチラと淡くひかる光がある。近づくと、それは銀盤に埋め込まれた数字が発光している。321と減り続けている。減りゆき、消えゆき、また再生して滅してゆく小さな数字たち。ご存知の宮島作品。
別の壁際にはガラス箱が整然と並び、柔らかい明かりが灯されている。なかには髪の毛ほどの細い細い植物のような構造物、どれも白、骨のように白い、地中の根のように白い、あるいは身体のなかに張り巡る神経のように、白い。これがレーア氏の作品。ドイツとイタリアに生活する人。
須田氏ご自身の作品は受付テーブルにさりげなく置かれた一輪の花。気づかねば本物の花と思うそれは正確な木彫。(目抜き通りの本店補にも、さりげなく置かれている、粋な展示の仕方)
ざっとこんなようですが、個々の作品もさる事ながら、取り合わせの妙というのでしょう、作品と作品の隙間に流れていた時間の穏やかさや測りがたい空間の呼吸感、それは無形のものゆえの豊かさだったのかもしれません。
淡い光の陰影のなかに、そっと並んでいるデリケートな存在たち。それらは何故か都会の喧騒を消し、場内のざわめきさえヒソヒソ声のように和らげ、染み渡るような静寂を地上に呼び降ろしておりました。
須田悦弘氏がキュレーションを担当した展覧会「せいのもとで lifescape」。
出品者は須田氏ご本人、クリスティアネ・レーア氏、志村ふくみ・洋子氏、珠寳氏、宮島達男氏。
珠寳氏は、銀閣寺の花方で阪神淡路大震災をきっかけに、花に導かれていった方とききます。 その献花を記録した映像が何と美しいこと。
「切り取られた命を再びきらきらと輝かせるために」という氏の言葉を調べたのですが、まさにそのまま。行為の純粋さに息をのみ見つめるこちらと映像の間に小さな花器がひとつ。鏡のように水だけ張って、ある。清楚な、見事なインスタレーション。我を忘れてしまいました。
振り向くと、虚空から無数の絹糸。この場所と彼方の場所のあいだに、あるいは、時間の裏側とこちらのあいだに、天上から膜が降りたように見える。その絹糸一本一本が、淡く染められて虹を成す。
これは、目当てだった志村ふくみ先生と娘さんの洋子さんが親子でされた作品「經(たて)」。
たて、即ち、織物のたていと。時の経過、すじ道、月経、かつて経験した何か。
大きな大きな宇宙のデリカシー、繊細ゆえに強い生命、物質なるもの、色彩なるもの、神秘なるもの、、、語ってはならない領域。
(先生は、この上ない色を自然の花から純白の糸に移されながら「白のままでは生きられないから」という言葉をテレビで言っておられた。溜息。)
その遠くにチラチラと淡くひかる光がある。近づくと、それは銀盤に埋め込まれた数字が発光している。321と減り続けている。減りゆき、消えゆき、また再生して滅してゆく小さな数字たち。ご存知の宮島作品。
別の壁際にはガラス箱が整然と並び、柔らかい明かりが灯されている。なかには髪の毛ほどの細い細い植物のような構造物、どれも白、骨のように白い、地中の根のように白い、あるいは身体のなかに張り巡る神経のように、白い。これがレーア氏の作品。ドイツとイタリアに生活する人。
須田氏ご自身の作品は受付テーブルにさりげなく置かれた一輪の花。気づかねば本物の花と思うそれは正確な木彫。(目抜き通りの本店補にも、さりげなく置かれている、粋な展示の仕方)
ざっとこんなようですが、個々の作品もさる事ながら、取り合わせの妙というのでしょう、作品と作品の隙間に流れていた時間の穏やかさや測りがたい空間の呼吸感、それは無形のものゆえの豊かさだったのかもしれません。
淡い光の陰影のなかに、そっと並んでいるデリケートな存在たち。それらは何故か都会の喧騒を消し、場内のざわめきさえヒソヒソ声のように和らげ、染み渡るような静寂を地上に呼び降ろしておりました。