ベネチア映画祭コンペ部門で昨日、塚本監督の新作『野火』ワールドプレミアとのこと。大変なスタンディングオベーションとのこと。どんな作品なんだろう、と、FBをチェックすると、なんだかとても良さそうなのだった。ほとんど動画は見つけてないのだけれど、公開されている一葉一葉の画から強い力を感じてしまう。それから、監督のインタビューが説得力ある言葉いっぱい。今つくらないと、もうつくれないかもしれないから、つくった。という、これは、僕はダンスなので映画とは少し違うかもしれないのだけれど、それでも、絶対、つくる時ってイマしかない、という決断は作品にとって決定的だよなと頷いた。なおかつ構想から20年がかりなのだというのだから、凄い。本当に今だったのだろうな、と、、、。
あの大岡昇平の小説『野火』が、気鋭の映画作家によっていかなる視点を得たか。市川崑の映画もあったうえでのチャレンジ。
戦争、極限状態、生き切るため何を、善悪とは、人とは、存在とは、、、。

僕は戦争を知らない。だけど戦争について、家族の体験談とアウシュビッツ収容所跡に行って感じたものが、とめどなくあって、知らない戦争に胸の深いところを傷つけられている。怒りよりも、悲しみよりも、虚しさよりも、傷。そして底しれない恐怖。だから、最近のテロリズムや政治状況や経済のことも、動物的直感で悲鳴あげかかっている。そんな感覚に迫るものをドキュメントや記録など以外には、まだ創作物からは知らなくて、それゆえ現実世界の恐ろしさに思い巡らし、ゆえにこそ、創作想像芸術のもっと何か可能性をと衝動しつつ、踊ったり、悩んだり、つきない。いやな予感を、ひっくり返すアクションを、小さくとも重ねていかないと、もう大変なことになる。知性と想像力で、何とか新しい道は開けないかと。だから、この個性あふれる映画作家が、いまこのタイミングで、この題材を撮ったと知って、励まされた。

戦争について、生声を超える感受をまだ知らない。と、さっき書いた。けれど、そのうえでも、戦争を直接題材にしたもので凄い、これは、と感じたのは、ジーバーベルグという人の映画『ヒトラー』の断片、水木しげる氏の漫画、キーファーの美術、クセナキスの音楽、そしてこの原作たる小説『野火』だけど、何だか、この塚本監督の映画は、見る前からちょっとソワソワしてしまう。
来年は終戦70年、そこに公開のチャンスを狙うとのこと。待ち遠しい。
野火FB