「突然、感動して、はっと我にかえる。」
そんなことが、たまたま起きるのは、大抵あちこちを歩き回っているときだった。
7/8の舞踏クラスでは、イメージ歩行の稽古をつけさせていただいた。
ゆっくり丁寧に、歩く、という経験を個々が確かめてゆく作業。
歩行の一踏一踏からは、その身体の背景や想像力を一望できる。よく感じとれば、踊る人自らも、ご自身を確かめ深めることができる作業かと思う。
歩行は、動作の基本でもあるし、毎日の意識が蓄積される行為でもある。人は社会を、家を、自身の時間のなかを、歩く。夢のなかでも、歩く。歩きながら、身体には、その人のすべてが痕跡されてゆく。
歩く、と言えば、ヘンリー・ソローの著がある。
Walking。
冒頭の一文は、ここからだった。もう一度。
「突然、感動して、はっと我にかえる。」
和訳を読んだ、やっと。
10年いやもっと前、ジョン・ケージを踊る小さな仕事があったその時は英語、そして若かった。いま胸に、少し少し入ってくる。その一言一言が、気になる。
ソローの言葉には、失われた故郷が響いているように思う。森の言葉に聴こえる。
「野性味のある人を友や隣人にもちたい。従順で扱いやすい人ではなく。」
「自らのなかに野性の未開人がいます。そして、野生の名前が私たちのものとして、きっとどこかに記録されている」
「まだ成長途中の子供でなくてはならないときに、私たちはすでに小さな大人です」
「 内側に根をおろして」
いろいろ。
木の葉を踏み鳥の声をきく、そんな日を捨てていないかな、
と、ソローの言葉を思い出しながら思う。
思いながら、
歩いてみる。
いま、あなたは、どこを歩いていますか?
そんなことが、たまたま起きるのは、大抵あちこちを歩き回っているときだった。
7/8の舞踏クラスでは、イメージ歩行の稽古をつけさせていただいた。
ゆっくり丁寧に、歩く、という経験を個々が確かめてゆく作業。
歩行の一踏一踏からは、その身体の背景や想像力を一望できる。よく感じとれば、踊る人自らも、ご自身を確かめ深めることができる作業かと思う。
歩行は、動作の基本でもあるし、毎日の意識が蓄積される行為でもある。人は社会を、家を、自身の時間のなかを、歩く。夢のなかでも、歩く。歩きながら、身体には、その人のすべてが痕跡されてゆく。
歩く、と言えば、ヘンリー・ソローの著がある。
Walking。
冒頭の一文は、ここからだった。もう一度。
「突然、感動して、はっと我にかえる。」
和訳を読んだ、やっと。
10年いやもっと前、ジョン・ケージを踊る小さな仕事があったその時は英語、そして若かった。いま胸に、少し少し入ってくる。その一言一言が、気になる。
ソローの言葉には、失われた故郷が響いているように思う。森の言葉に聴こえる。
「野性味のある人を友や隣人にもちたい。従順で扱いやすい人ではなく。」
「自らのなかに野性の未開人がいます。そして、野生の名前が私たちのものとして、きっとどこかに記録されている」
「まだ成長途中の子供でなくてはならないときに、私たちはすでに小さな大人です」
「 内側に根をおろして」
いろいろ。
木の葉を踏み鳥の声をきく、そんな日を捨てていないかな、
と、ソローの言葉を思い出しながら思う。
思いながら、
歩いてみる。
いま、あなたは、どこを歩いていますか?