(いつかのつづきですが・・・。)

「突然、感動して、はっと我にかえる。」

いくつかの本を読んだ。
白い紙にリズムする平仮名の曲線、裂け目のごときカタカナ、グラフィックな漢字、
それらの整然たる行列、そのレイアウト、
いいなと思う本は眼にもやはり美しい。
そして厚み重み、ハラハラと頁をめくる微かな音なども。

言葉にはいろいろある。
オイリュトミーをやっているから、声に出すからこそ美しく響く言葉を感じる機会は多い。
だけどそのほかに、書いておくだけにとどめたほうがシャレているような、つまり、声に出さないからこそ響いてくる言葉があるのも確かで、まさに文学だなあと思える本のなかではしばしばそんな「書き言葉」ならではの沈黙の響きに出会う、みたい。だから「本」があるんだろうけれど・・・。
本をめぐる楽しみいろいろ、その快を改めて実感したのは、やはり、樋口一葉。
伊藤比呂美さんの現代語訳がとても面白くてまず読んだ。
親しみを覚えたから、もとの、一葉自身のものをまた読んだ。

『にごりえ』。

映画も見た記憶あり、著名な演劇にもなったその舞台は当然見た、それ以前にこれ、学校で習ったわけだけれど、いままでなぜ入り込めなかったのかワカラナイほど初めて感がつよい、突然の感動。

「おい木村さん信さん寄つてお出よ、お寄りといつたら寄つても宜いではないか、又素通りで・・・」

あの冒頭から「。」なし、で5ページ以上書きに書く言葉言葉言葉、その波に乗ればそこにもう夕暮れがあり、あやうい化粧の匂いがしてくる。う~ん、すごい。なんといっても、リズム。

その波に、飲み込まれるように最後まで一気、いやちがった、この語感かっこいいな~とか読み返したりも。気付けば一夜、明けた。
擬古文ゆえに壁もあり、しかし滲み出る切なさ、
たどりついた最後の景は色街から運び出される棺が二つ。
そこでため息というか無常、なのに色がまだ香って。
誰が女が男がこうして、あれして、とうとう心中して、よりも、
言葉の流れの美しいこと寂しいこと。

「魂祭り過ぎて幾日、まだ盆提燈のかげ薄淋しき頃、」

と始まる最終章は死者を送る風の噂か。哀歌、エレジー。
その最後まで読んで思い出したのは再び冒頭

「軒には御神燈さげて盛り鹽景氣よく、」

という風景。
始めに揺らめいたあの提燈の火と魔除鹽。
そして、悲劇の最後にふともう一度、火のイメージが揺れる。

堪能、よかった、なんておこがましいが、何度も読みたい、
ただ黙って読んでることが幸せ、
と思ってしまった。文豪、さすがにおそるべし。

(ほかに、パール・バック、ソロー、タブッキ、村上龍、サティ。おもしろく読めたので、またこんど書きたいです。)