関わって下さったたくさんの方々、お立ち会いいただいた皆さま、心より感謝しております。
無事に納めました。
ありがとうございました!

『記憶の海をわたることから』と題したこのダンスパフォーマンスは、美術家・瀧澤潔氏の作品に献じました。

現場となったのは、
昭和8年に建てられた木造の小学校跡。

稽古で訪れた時は凍てつく季節、何十年に一度の積雪の、すべて白になるような中に佇んでいた、廃墟とも言えるような風情だったこの建物が、美術家と地元の方々によって再生していました。

桜に菜の花、咲いていました。
色とりどりに、ひとつひとつに固有の色を鮮やかに放ち、光や命の所在を僕らに示している花々の姿は、踊りのひとつの理想形と、僕には思えてなりません。それら花々にアプローチしながらパフォーマンスは始まりました。
花々の息と呼び交わすことから、時の流れに、人の営みに、そんな事に思い巡らしつつの踊りでした。

戦争、回復、成長の夢見をへて、そしてあの3.11から始まった未明のなかで、いま僕らはここにいる。そのような時の流れを、その時その時の子どもたちを、この校舎この場所は、じっと見つめてきたんだなあと、想像しながら、場を踏みしめました。土が足に語りかけてきました。土の上の空間は、静まりかえっていました。その静かな佇まいと測りあいつつ、記憶をたどり、同時にこれからのことを、僕らの道の遠くを予感したい。そういう気持ちでした。見守る観客のなかには、この校舎で学んだ方々もいらして、踊りながら心震える思い。

初日の3/29は土曜日、眩しいくらいの快晴。対して二日目の日曜日は春の嵐、強風に横なぐりの雨。好対照をみせる自然の営みのなか、野外から始まるダンスは自ずと違う展開となり、それは幸運なことだったと感謝しています。

光と風と雨と花々、そして無数の記憶を眠る建築。その内部は、あくまで静かな闇に満たされ、その闇の宙空には仄かに光るヒトガタが美術作家によって点々としています。それらに身ごと揺さぶられ、迷踏し、ダンスは生まれて消えていきました。

いかがだったでしょうか。

踊りは、踊り手には見ることは叶いません。ただ一期一会の強い念が体内を駆け抜けた手応えは確く、5月に上演を控えた新作に、すでに大きな影響が出ています。

過ぎゆくものから、来たるべきものへ。
振動し、交響し、呼び交わすように、踊り繋いでいければと思います。

5月アタマの新作公演まで、いよいよ一ヶ月を切りました。
稽古を詰めていきます。
さてさて。

櫻井郁也・公演サイト