3年目の3.11は踊りの仲間と過ごした。
ことしはクラスに加え二つの舞台が進行しているうえ、確定申告やら何やらの私事も普段になく忙しいなか、何故かこの日に限って、たくさんの人に会い、ゆえ、言葉もまじえた。会う人それぞれも、そんな感じだった。さりげない会話を大事にしている様子が、言葉の奥のほうであの日を共有している感覚が、あった。
踊りのことも、普段は色々議論するのだが、何故かこの日は、お互いに続けてきて良かったね、というシンプルな一言を様々な人から何度もきいた。そのたび、軽く頷きながら、心のなかでは深い感謝が湧いていた。
一日の終わりに、いつも通り行った舞踏クラスでは、清い佇まいを見た。動く喜び、という言葉をメンバーからもらって、自分自身の初心を辿ることができた。仕事とも違う、暮らしとも違う、もう一つの時間空間、それは踊りが教えてくれた宝だけれど、その宝に肌で気付いたのは最近の事。
ある時はただ何となく、ある時は中断の誘惑に迷いながらも、続けて続けて、当たり前の事に変わって、最近。

3年前のその日を境に、何かが芽吹き始めている感じが、今頃になって、ある。それは作品にも反映し始めているし、この春つくる作品/対話を体験して、クラスにも、つまり心や体を人に手渡す作業にも、反映されてゆくと思う。

人生も世界も、山あり谷あり。苦しみや悲しみを、一人一人が乗り越えて新しいものを生み出す時代が来ているんだと思うことが多い。

追悼しながら、少し無口になりながら、3月を迎え、もうすぐ春。

3年前の春に流した涙は、ゆっくりと感謝の涙に変わってゆくんだと思う。
続けてきた事を信じて、新たに続けていく。そんな、ささやかな決意を、3年目の3月は、くれたんだと思う。

櫻井郁也・公演サイト