とても青い海を見た。
フランセス・アリス展第二部は、彼のプロジェクト『川に着く前に橋を渡るな( 2008年、ジブラルタル海峡)』を中心に構成された、すがすがしい展示だった。
海をわたる子どもたち。
その姿を描いた小さな絵の数々。
その数々の絵を受けて、実際に海をわたる子どもたち。その行為を記録した巨大な映像。
ある日ある時間、
子どもたちが列をなして海に入る。アフリカ、モロッコの海岸。向こう側にはスペインが見える。
おなじ日おなじ時間、対岸のスペインからヨーロッパの子どもたちが、やはり、まっすぐな列をなして海に入る。その先にはモロッコ。
アフリカとヨーロッパを隔てるジブラルタル海峡は最短わずか14㎞。船にとっては近いが、身体にとっては遠い距離だ。心にとってはどうなんだろう。文化にとってはどうなんだろう。政治にとってはどうなんだろう。
ひとり、またひとり。子どもたちは海に入る。
近くて遠いところを結びつけようと、一列になって、向こう岸を見つめながら、泳いでゆく。
子どもたちの列はイメージのなかで二つの線に延長され、やがて出会い、結びついて一つの線になる。
線。それはアートの原型の一つだ。
線は、何かと何かを分け隔てることも出来るし、何かと何かを結びつけることも出来る。
線をひく行為には始点と終点があるが、引かれた線は予感によって、あるいは想像力によって、どこまでも延長することが出来る。
線は、限界と無限を同時に孕んでいる。
線をひくこと。
drow。
海峡を泳ぐことによって、子どもたちは自らの身体で、隔てられた二つの場所を、一本の線で結んでゆく。
これは橋のない海にイメージの橋を架ける試みだと思った。
海を越えてゆく行為に託されたイメージ。イメージの先に託された希望。
子どもたちの嬌声をキラキラと反射しながら、ジブラルタル海峡は、巨大なカンバスになってゆく。
線をひくこと。
何かと何かをつなぐ線をひくこと。
シンプルな、シンプルゆえに多くの思いをこめて、力を合わせて、、、。
海は、予感に満たされて、青く輝いている。
フランセス・アリス展第二部は、彼のプロジェクト『川に着く前に橋を渡るな( 2008年、ジブラルタル海峡)』を中心に構成された、すがすがしい展示だった。
海をわたる子どもたち。
その姿を描いた小さな絵の数々。
その数々の絵を受けて、実際に海をわたる子どもたち。その行為を記録した巨大な映像。
ある日ある時間、
子どもたちが列をなして海に入る。アフリカ、モロッコの海岸。向こう側にはスペインが見える。
おなじ日おなじ時間、対岸のスペインからヨーロッパの子どもたちが、やはり、まっすぐな列をなして海に入る。その先にはモロッコ。
アフリカとヨーロッパを隔てるジブラルタル海峡は最短わずか14㎞。船にとっては近いが、身体にとっては遠い距離だ。心にとってはどうなんだろう。文化にとってはどうなんだろう。政治にとってはどうなんだろう。
ひとり、またひとり。子どもたちは海に入る。
近くて遠いところを結びつけようと、一列になって、向こう岸を見つめながら、泳いでゆく。
子どもたちの列はイメージのなかで二つの線に延長され、やがて出会い、結びついて一つの線になる。
線。それはアートの原型の一つだ。
線は、何かと何かを分け隔てることも出来るし、何かと何かを結びつけることも出来る。
線をひく行為には始点と終点があるが、引かれた線は予感によって、あるいは想像力によって、どこまでも延長することが出来る。
線は、限界と無限を同時に孕んでいる。
線をひくこと。
drow。
海峡を泳ぐことによって、子どもたちは自らの身体で、隔てられた二つの場所を、一本の線で結んでゆく。
これは橋のない海にイメージの橋を架ける試みだと思った。
海を越えてゆく行為に託されたイメージ。イメージの先に託された希望。
子どもたちの嬌声をキラキラと反射しながら、ジブラルタル海峡は、巨大なカンバスになってゆく。
線をひくこと。
何かと何かをつなぐ線をひくこと。
シンプルな、シンプルゆえに多くの思いをこめて、力を合わせて、、、。
海は、予感に満たされて、青く輝いている。