ふだんの生活のなかで、眼は何かひとつの対象にフォーカスすることが多い。

ロンパリ気味の眼をもつ人が、どこか神秘的で世離れした美人に見えるのは、その眼が多焦点で世界をくまなく照らしているように感じるからかもしれない。

広い視野で、なおかつ見えるものことごとくクリアにピントが合っている状態。そんな視覚体験は滅多に無いから、この人の写真は、とても新鮮な体験を僕らに与えてくれるのかもしれない。

あらゆるものは個々固有の仕方であるべくしてそこにあるんだよなあ。

ということを、素直に認識させてくれる。なんだか気持ちが大きくなる。

リヒターは写真のような絵を描くが、グルスキーは絵のような写真を撮る。そんな噂の通りだけど、それ以上に感じたのは、この人の写真には音楽のような快楽や数学のような刺激があることだった。酔う写真だ。

精密な構成、細やかなリズム感、色彩が奏でる虹のような階調感。近づくことや遠ざかることで楽しめる自由さ。

あえてリヒターと並べるなら、リヒターは俳句や詩のように、グルスキはベートーベンやストラヴィンスキーの音楽のように、心を揺らしてくれる。

この人のこの大きな大きな写真を一枚だけ、ガランとしたコンサートホールに置いて、扉を閉じて一人きりで静寂に包まれてみたい。

そんな欲望がフツフツと込み上げてくるのだった。
ああ3億円、ポンと出せれば買えるのにな~。
デカいのを一枚、ほしい!

(新国立美術館にて)