呼吸と沈黙をめぐるダンス。

とでも言うほかない。
3月末に上演する、新しいソロダンスの姿がでてきた。

ちょうど一年前に上演した『かつてなき、結晶/3.11silent』は状況からの突き上げるような衝動が身体に結びついたものだった。これを大幅に改訂し、空間を拡大してゆく作業をヨーロッパで行なったのが『Hakobune:方舟』。ひとりひとりの身体を、いま集うている場所を、いま住まうこの世界を、破壊の嵐に漂う一艘の方舟のように感じながら踊った。
夢中になって、くたくたになったなかで、ふと訪れた沈黙があった。

フランスの小さな教会の闇のなかだった。

台所の香りさえ漂うような下町と扉一枚で区切られた闇は、
とてもとても深く暗く温かだった。
ジャン・コクトーのつくったステンドグラスが淡い青光を投げていた。
言葉や音が消えた。
そんな、異郷の祈りの場所で、自らの呼吸に耳を澄ましていた。
一瞬一瞬の呼吸が、失われてゆく時を数える儀式のように思えた。
息をする、そのこと自体が、幸運な奇跡との過ぎゆくダンスであるように思えた。

からだ。
かくも小さな器のなかで、遠い祖先から遠い子孫へとつながってゆく何かが息をしている。

からだ。
かたちのない、なにか大きなものに、いだかれて、在る、からだ。

闇に、ステンドグラスの淡い光に、つつまれるなかで訪れた、そんな感覚のなかで芽吹いたものが、今回の作品になっていった。

あの震災の影響もあるのか、時の流れやイノチが愛しい。すこし哀しいけれど、本気で思えてしまう。(喪失よ・・・)

呼吸をきく、流れる血液をきく、
光や闇にに身をゆだねて空白になる。
空白になり、ただひたすらに訪れるフォルムをダンスする。
そんなダンスをさがしてみても良いのではないかと思って、育ててきたのが今回のソロだ。
ダンスによって、内部からほどかれて大気に還ってゆくものを、見贈ってゆくのかもしれない。

『青より遠い揺らぎ』

そんなタイトルをつけた。
早春の着地にむけて、進んでみたい。
プロセスに寄り添っていただければ幸いである。

※明日か明後日には、公演詳細をまとめて掲載したいと思います。よろしくお願いします。