新クラス
ダンス + オイリュトミー
『土曜レギュラークラス』

1/26 START(毎週土曜13:15~14:45)

いよいよ今週末の26日から、新クラスのレッスンが始まります。
踊りをはじめてみたい方、ぜひお集まりください。レッスン内容&要項

久々の定期クラス新設なので、ゆっくり丁寧に始めて、納得のいく方向性をつくってゆこうと思います。

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ところで・・・。

準備を進めるなか、いい言葉に出会いました。
これはダンスの人のものではなく、彫刻家・佐藤忠良氏と画家・安野光雅氏の手による『子どもの美術』という、いわば教科書なのですが、その最後が自画像の練習で締めくくられているのです。これ自体、すごいことだなと思うのですが、そこに添えられていた言葉が素敵だったので、引用します。

「鏡に向かって、自画像をかこう。
(中略)
時間はいくらかかってもかまわないと思って、
まっすぐに自分を見つめて、
自分でなっとくがいくまで、
かこう。」

これは、踊りの稽古とそっくりじゃないかと、どきっとしました。
踊りでは、心の目で自分の所作を見つづけますから、稽古の経験を積んだ人は、心の中に鏡を置いているようなものなのです。そして、稽古の楽しさは、「時間はいくらかかってもかまわない、」と思える作業そのものとの逢瀬であり、身のこなしをきちんと捉えたり、思いが伝わるカラダにナル、という稽古の過程は、まさに「まっすぐに自分を見つめて、自分でなっとくがいくまで」ということにぴたりと当てはまります。

世の中や日常から、解放される時間をもつこと。
純粋に、自分の心や体に、真剣に向き合うことができる時間をもつこと。
自分で納得がいくまで取り組む作業をもつこと。

そのようなことが、人間にはどうしても必要なのではないかと思えてなりません。

少なくとも僕自身にとっては、そのような時間は切実なものでしたし、やればやるほど楽しくて仕方のない時間になっていきました。
単に踊るための準備ではなく、純粋に自分を見つめるための時間。そして場所。これを設けていなければ、舞台活動や創作にも限界があったでしょうし、教室を行なって他の人と稽古を分かち合ったりすることも本心からの喜びにつながらなかったのではないかと、いま思えてなりません。
よかったら合流してみてください。何か大事なものを分かち合えるかもしれません。

PS:上述の教科書の最後のページには、次の言葉が添えられています。

「人が立って歩いてから二百万年以上たっています。
 人の生活を大きく変えた車は、作られてからまだ五千年しかたっていません。」


この言葉を味わいながら、ダンスの源を思います。踊りつつ、自分をみつめることは、もしかすると、もっともっと遠い、血の記憶をさかのぼり生命や自然の大きさを感じとってゆくプロセスなのかもしれないな、と思います。

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