
沈黙。
って言っても色んな沈黙がある。
この前はケージの沈黙と永遠的ドローンをめぐって少し書いた。
上の写真は先月の越後妻有で出会ったなかで、とりわけ沈黙を感じた作品。
広大に拡がり、高い山を成す程に積み上げられているのは、すべて人の着た衣服。
実際には、かなりの大音響が響きわたっている。PAで野外の空気を震わせるような音量。心臓の音だ。そこに、重機のグワォーンと動く音。だけど、沈黙がひたひたと迫る。
ボルタンスキー
氏は、僕が踊った津南近辺でも廃校を全面使った『最後の教室』というインスタレーションを展開していて、それがとても良かったから、せっかくだからといってこの新作も観に寄った。
氏の作品には、以前から強く共感していたし、この新作は実は写真も見ていた。レジデンスなどで、少しばかり評判もきいていたから、心の準備があるつもりでいた。
しかし、
しかし本物、おそるべし!
畏怖、であった。
モノとは呼べない力を放ちながら、物それ自体、である何か。
ふつふつと感情であり、
しかし思索であり、
すさまじく行為であり、
痕跡でありながら持続であり、
それはそして「あの」歴史であり、この現在であり、
存在でありながら喪失であり、
過剰と同時に無に引き込まれてゆく。異様な場の力。
言葉を失ってゆくような目眩と重なりゆくのは、
そこはかとない戦慄だった。
そして、
沈黙が内側をみたしてゆく。
ノーマンズ・ランド、と名付けられたこの作品。
ずしりとパンチを喰らってしまった。