
そう、これはアスパラ。
前回に書いた新潟・津南、滞在中のひとこま。
美術の瀧澤さんと制作中の作品作業を見せていただいたり、話し合ったり、稽古に立ち会っていただいたり…。
というなか、緊張感ただよう現場から一歩出て村中へ。
散歩、そぞろ歩き、そんな事ですが、
心に新鮮な空気を入れる、風景に耳をすます、
それで初めて始まる事があるから。
犬が走る、その行方をながめる。
道行く人と、なんとなく立ち話。
少し雨やどり。
あちこち、あれこれ。
で、訪ねたひと処が写真のアスパラ畑。これは感動でした。
地域の中で、ひときわ高い場所に拓かれたその畑は、一見、わからないほど色んな草が生えて花もちらほらと。
そのなかを探してゆけば、私たちが口にする野菜が、そっとある。
自然農法と言うのかしら、
農薬を使わないのはもちろん、作物以外の草を一切抜いたりしない。
生えるものはすべてそのまま、自然の生命の循環のなかで作物を育てる、という。
迎えて下さった農場主の方から話を伺いつつ、収穫の体験までさせていただいてしまった。
これは○○っていう草なんだよ、
これが生える所は未だ土が硬いんだ、
これはこんな花を咲かせてね。
ひとつひとつ・・・。
つい雑草なんて呼んでしまうのだけど、雑草という植物は無い。
ひとつひとつ、みんな名前がある。
誰かが何かを思って、名を付けたイノチ。虫も同じ。わたしたちも、同じ。
植物や昆虫は、土や空気とつながったまま命をバトンタッチするように生きたり死んだり、地上に時を運ぶ。
そして、人が口にして良いものが、あるサイクルをもって宿るのだという。
正確なサイクルで育ったならば、人が食べるものを虫は食わないのだそうだ。
もし作物に虫が付いているならば、それは未だ人の口に馴染むには早いとのこと。
生えてくる草、発生する虫、みな理由があるから、それらと向き合っていれば土のサインが解ってくるのだということだった。
大地の言葉としての生き物たち。
職人のような手で草生に触れながら、足やわらかに土をたどりながら、
ささやくように話して下さった。
降る雨にゆるんだ土がふわりと足を包み、草の香りがスウと肺を和らげる。
畑の香りとは少し違う、あれは、山の香りに近いのかもしれない。
土も泥っぽくなくて、足にまとわりつかない。
懐かしく、しかし、新しい感覚。
ああしたい、こうもしたい、
と、思い中心に物事に接することに慣れてしまってきた。
忘れてしまった何かがある。そうつぶやくかたわら、どんどん時は流れてきたが、
地水火風、それらの本当の姿を見失って僕らはどこに行こうとしているのだろうか。
あらてめて、じわりと感じ入るのだった。