ひと、ひとりひとりが、ひとつの灯火としてある。
いま、この日々の中でレッスンを開き続けつつ、何度もそんな思いがわきあがる。
そして命あることの重さをあらためてこの身に問うている。
さらに、人が集う、そのこと自体の貴重さ。
流れてゆく時を惜しむように、一人一人がカラダを動かしてゆく。
全身をふるい、息をつくし、
ひとりひとり、さまざまな思いが去来していると思うのだけれど、
僕には、参加者たがいのエネルギーが相交わりながらひとつの清流をなしているように見える。
懸命に舞を踊ることは、ひとつひとつの肉体をひとつひとつの神殿と例えれば、その神殿に火を灯し入れる行為に等しいのではないか。だから美しいのではないか。そう思う。

人を泣かせるような魂の入れ替えが祖先から伝わっている

というコトバがある。そう、土方さんだ。
どうしてなのかな、いま僕は、何よりもこの言葉を、ひしと思い出している。