
水に潜る。
水のなかで、静かになる。
水は、光を分解して、音楽に変える。眼がそれを聴く。
水はそれ自体としての存在を生きていながら、さまざまなものや空間や時間の通り道としての存在を生きている。
からだの組成は7割以上が水なのだときく。
そういえば僕の場合、踊りたい、という衝動は、
通り道になりたい、ということにつながっている。
この水のように、さまざまなものを通し、静かに冷却して、分解して、透明な音階に溶かして。//
掩巻。
少し読んで書物を閉じる。
昔の読書法なんだそうだ。
僕は本を読むのがすこぶるゆっくりなので、この感じはよくわかる。
綺麗に並ぶ文字をじっと眺める。わかる、という前に、あじわう、ということがある。
思考の速度を肉の速度につなげているのが文字だと感じる。//
カラダは波である。
体幹を使って正しく歩いている人は1000人中29人しかいなかった、ずいぶん前、4月20日の毎日新聞にそんな記事があった。
体幹を使う、というのは、体感しながら、という状態だ。感じる、とは、さらされること、開け放つこと。多くの人は、カラダを閉じて、自分の世界を歩く。そういうことかしらん。//
身体の動きには、呼吸のような流れがある。吐く・吸う・止める、のような転換点や、通る・つまる、浅い・深い、のような様々な相がある。身体の動きや佇まいには、呼吸のような波やリズムや「通り」の良し悪しが宿っている。
周囲のひとやものごとに共感がある時、体は、より柔らかく動くようで、このときは、体幹部が解放的に動きだす。
逆に、自分のことに囚われたり周囲に対する共感が少ないと体はこわばって、手足ばかり動き、肩や肘が張る、体幹部は強張る。//
開け放つこと、
むすぼれること、
さて私は、あなたは。