夏の集中レッスンを開始した。
いわゆるワークショップだ。
テーマは、
「耳をすましてからだを開く」
注意、想像、感受、解放。
踊りの基礎プロセスだ。
もとはダンスクラスの人と話していて衝動したのだが、僕自身も勉強し直したくて練った。舞踏とオイリュトミー、その共通する心を、もっとも初歩的な作業のなかに捉え、踊りの愉しみを体験したい。
遠方の方や多忙の方、久々の方も駆けつけてくださり、クラスメンバーからも初心に還りたいと様々な顔ぶれが集まって嬉しい。初々しい出会いの空気、いい緊張感とモチベーションを感じた。
8/9、10、29、30、31。
29(14:30~)は余裕あり、他の日(19:30~)は若干名の予約が可能。単発や部分参加など、これから参加の方は、お早目にご連絡くださいませ!日程/参加方法など情報
まず2日やって土台をつくる。
初日の本日、前半は「感じあう体験」、と言っても感性だけではない。ひしと輪になり、皆で呼気を合わせる、いっしょにテンポをつくりあって全身を動かす、歩く、走る。皆が気持ちをはかりあいながら円環そのものが流れるように歩く、グルんグルん輪のまま走るエネルギーリング、という動き、人から人にエネルギーを伝える稽古だ。
そのあと、オイリュトミーシュタープ(銅の彫刻杖)を用いて、気を伝えながらのデュオウォーク第一段階。ふたり一つになってつくる動きに僕が合いの手やリズムを入れる。笑顔が出た。大人が遊ぶ、気を許し合うこと、直感と行動力を再生する稽古だ。素朴だが、入り込めばかなりの基礎体験となる。期間中、少しでもやりたい。
で、後半は、本稽古への橋渡しとして、舞踏的うごきの模倣体験すこし、そしてオイリュトミーワークの一部を体験。シュタイナーマントラを用いた流動のさわり。
お疲れさまです、どうでしたか?
これから2日目の10日を経て、月なかばは通常の定期クラスにもどるから、この期間は普段どんな練習をしているのか、見学や体験なども面白いかもしれない。そして、月末29からの3日間は気持ちと肉体の解放作業へと踊り進んでいただく。感じ合うこと、ディープリスニング、共振、そして踊りの発生へ。
今回の5講座は、わかる、というための時間じゃなくて、驚きや
ためらいやチャレンジや戸惑いや気づきやため息や、ささやかな喜怒哀楽の渦巻きで、ありたいと思う。わかる、ことよりも、わからない事の貴重さと楽しみを。強さへの頑張りよりも、弱さへのいとおしみを、感じ合うことが出来れば最高なんだけど。よろしくお願いします!
帰宅後。ニュースが長崎の原爆忌を伝える。被爆した方々の合唱する歌が痛く美しい。
さっき踊りあった。
日本の踊りの背景には、灰がある、そのこと思う。
灰から再生した街に生きている、灰を乗り越えて血をつないだ人が、喜びを探しあう。
つながった命のかけら、としての私たち、このカラダ。に、愛を注ぐ。注ぎたい。
PS:
そういえば、
「われわれは、世界の全体がどうなっているか、いまだ知った事などない」
松岡正剛さんのこの一行(フラジリティ)に、僕は心から拍手する。本当にそうだと思う。
踊りをしていると、「この私」なんて言っても計り知れないこと数知れず膨らむ。私は、世界どころか、私自身をさえ知った事がないのだ。知らない、わからない、そうつぶやきながら、あなたを、あなた、と呼び、肩を組み抱き合う日を恋い続ける。あなた、って誰だ?
カオスなんじゃないかと感じる。しかし、カオスとは愉快な渾沌だ。
例えば、僕は男だ。あれ?それだけで、もう、つまり、カケラなのだ。良くて半分の世界に生きている、大抵はもっと少しだけの世界にいる。
ここはどこかしらん。
私は誰、あなたは誰。
そうつぶやきながら、踊りはじめる、溶けてゆこうと、する。
いま何時 。
いわゆるワークショップだ。
テーマは、
「耳をすましてからだを開く」
注意、想像、感受、解放。
踊りの基礎プロセスだ。
もとはダンスクラスの人と話していて衝動したのだが、僕自身も勉強し直したくて練った。舞踏とオイリュトミー、その共通する心を、もっとも初歩的な作業のなかに捉え、踊りの愉しみを体験したい。
遠方の方や多忙の方、久々の方も駆けつけてくださり、クラスメンバーからも初心に還りたいと様々な顔ぶれが集まって嬉しい。初々しい出会いの空気、いい緊張感とモチベーションを感じた。
8/9、10、29、30、31。
29(14:30~)は余裕あり、他の日(19:30~)は若干名の予約が可能。単発や部分参加など、これから参加の方は、お早目にご連絡くださいませ!日程/参加方法など情報
まず2日やって土台をつくる。
初日の本日、前半は「感じあう体験」、と言っても感性だけではない。ひしと輪になり、皆で呼気を合わせる、いっしょにテンポをつくりあって全身を動かす、歩く、走る。皆が気持ちをはかりあいながら円環そのものが流れるように歩く、グルんグルん輪のまま走るエネルギーリング、という動き、人から人にエネルギーを伝える稽古だ。
そのあと、オイリュトミーシュタープ(銅の彫刻杖)を用いて、気を伝えながらのデュオウォーク第一段階。ふたり一つになってつくる動きに僕が合いの手やリズムを入れる。笑顔が出た。大人が遊ぶ、気を許し合うこと、直感と行動力を再生する稽古だ。素朴だが、入り込めばかなりの基礎体験となる。期間中、少しでもやりたい。
で、後半は、本稽古への橋渡しとして、舞踏的うごきの模倣体験すこし、そしてオイリュトミーワークの一部を体験。シュタイナーマントラを用いた流動のさわり。
お疲れさまです、どうでしたか?
これから2日目の10日を経て、月なかばは通常の定期クラスにもどるから、この期間は普段どんな練習をしているのか、見学や体験なども面白いかもしれない。そして、月末29からの3日間は気持ちと肉体の解放作業へと踊り進んでいただく。感じ合うこと、ディープリスニング、共振、そして踊りの発生へ。
今回の5講座は、わかる、というための時間じゃなくて、驚きや
ためらいやチャレンジや戸惑いや気づきやため息や、ささやかな喜怒哀楽の渦巻きで、ありたいと思う。わかる、ことよりも、わからない事の貴重さと楽しみを。強さへの頑張りよりも、弱さへのいとおしみを、感じ合うことが出来れば最高なんだけど。よろしくお願いします!
帰宅後。ニュースが長崎の原爆忌を伝える。被爆した方々の合唱する歌が痛く美しい。
さっき踊りあった。
日本の踊りの背景には、灰がある、そのこと思う。
灰から再生した街に生きている、灰を乗り越えて血をつないだ人が、喜びを探しあう。
つながった命のかけら、としての私たち、このカラダ。に、愛を注ぐ。注ぎたい。
PS:
そういえば、
「われわれは、世界の全体がどうなっているか、いまだ知った事などない」
松岡正剛さんのこの一行(フラジリティ)に、僕は心から拍手する。本当にそうだと思う。
踊りをしていると、「この私」なんて言っても計り知れないこと数知れず膨らむ。私は、世界どころか、私自身をさえ知った事がないのだ。知らない、わからない、そうつぶやきながら、あなたを、あなた、と呼び、肩を組み抱き合う日を恋い続ける。あなた、って誰だ?
カオスなんじゃないかと感じる。しかし、カオスとは愉快な渾沌だ。
例えば、僕は男だ。あれ?それだけで、もう、つまり、カケラなのだ。良くて半分の世界に生きている、大抵はもっと少しだけの世界にいる。
ここはどこかしらん。
私は誰、あなたは誰。
そうつぶやきながら、踊りはじめる、溶けてゆこうと、する。
いま何時 。