石垣島で、グリーンフラッシュが観測され、その撮影に成功した人があったのだと、ニュースが伝えていた。
映像も一緒に。

グリーンフラッシュ。
夕陽が水平線に接するとき、
わずか1秒にも満たない時間だが、美しい緑の光線を放つことがあって、それを見た人は、幸せになるのだという。

ジュール・ベルヌの小説で、
エリック・ロメールの映画で、
このグリーンフラッシュの光景は描かれていて、憧れがあった。
神秘主義者たちがティンクトゥーラと呼んだ幻の色彩は、このグリーンフラッシュの光だったという噂を聞いたこともあり。

そんな光景を、あらためて映像として目の当たりにできた、これも、何かの縁なのか。
ともかく、じっと見入ってしまった。

もちろん、テレビ映像で偶然見たのと実際に見るのは大違いなのだから、安易に幸せ到来とはゆかぬこと承知としても、
それでも、かの緑の光は心に残る美貌の光で、口をぽかんと開くほど。
今日あった色んな出来事やら、このところ気にしている諸々、
そんなこんながフワリと消えて、やがて戻ってきた時には何だか懐かしいような可愛らしいような小さな出来事の積み重ねみたく感じていた。軽くなった。
はて、僕の感性がおめでたいのか、それともこれも緑の光線のおかげさまなのかしら。
つかの間の美しい閃光は、その奇跡のような瞬間との出会いを通して、ああ、こんな光景に出会えるなんて、やっぱり生きていて良かった、って思わせてくれる。それは、僕らに、僕ら自身の生きていること自体が奇跡なんだよと教えてくれようとする、空からの呼び声なのか。

とても稀な現象だときく。だからニュースにもなるんだろう。
でも、思えば・・・。まれな現象に出会うから幸せになるというわけじゃないんだろうなあ。
めったにない一瞬を通して、ハッと美なるものを思い知る。それが幸せを呼ぶんじゃないかしら。

一緒くたにしてはいけないんだろうが、
月の諸相しかり、流れ星しかり。
夏雲の白さだって、
美という視点に立てば、いずれも二度とない瞬間。
そこに気がつくかどうか、そっちのほうが大事かも。

空を見上げる、空のかなたに感覚をあずける。
広大な空間に気持ちをゆだねて、無意識のうちに二度とない一瞬一瞬や絶えざる変化を味わって。
この地上から目を空に開き、ふたたび地上に戻ると、
悲喜こもごもが鮮やかな色彩で受け止める直せる気がする。

偏在する現象の、美しい一瞬に気づく心、貴重さを感じられる心、
そんな心の開き方が出来たとき、僕らは何かしら新しく出発できる。
そんな気がする。

幸せは、安泰な満ち足りた状態じゃなくて、過ぎゆく何かに心が動くゆたかさに、瞬間瞬間を受け止められる心の状態に訪れるのかもしれない。
そんな気が、ふと心をかすめる。

読売の記事あり