ワールドカップだ、参議院選挙だ、って賑やかな話題のさなか、また訃報があった。

そう。つかこうへい氏が、亡くなってしまったのだ。

先月の大野一雄氏に続き、えっ、まさか、つか氏が……。

いつだったか、つか氏の稽古をテレビで観た。
力の限界まで動く役者さんに、つか氏は猛烈なスピードで、その場で生まれるセリフを語り、役者さんは集中力を振り絞るように反復してカラダに入れる。
命を削り出すように言葉と肉体を絞り上げる、その長い長い時の積み木が熱放って舞台に乗る。ここまでして人は人前に立つんだ。ここまでして、やっと何かが通じるんだ。
その緊迫感は生々しく、まさに生身の人間と人間が、観客というやはり生身の人間に向き合うための、抜き刺しならぬ命を交わすイニシエーションのようだった。

厳しい先輩が次々と亡くなられる。
残る私たちが、何とも甘ったるくユルく感じて、どうにも歯がゆい。
やすやすと人前に立っていないか、稽古は訓練は、
いや、そもそも何もかもである、こんなで良いのか。

つかこうへいさん。

コトバが熱であることの証を、熱がコトバとなることの証を、
カラダが魂であることの証を、魂がカラダとなることの証を、
舞台や戯曲を通じて教えてくれた人。

弱さやみっともなさを受け入れる事こそ人の人たる証と、
つか氏は楽しく厳しく繰り返し表現されているのだと感じてきた。
勇気を与えてくれた人だった。

同じ時代に生まれ落ちたひとりとして、感謝でいっぱいです。