「混沌に背骨をまつすぐたてることは、一つの天体たることである。」
このコトバに僕はアタマから水を浴びせられたようになる。目覚める。
吉田一穂の代表作『古代緑地』からの一節。
来る10/25のパフォーマンス(吉田一穂オマージュ)の作品リハーサル、そのあと、オイリュトミークラスのレッスン。
どちらもコトバから生まれる踊り、コトバを受けとめるカラダ、そんなことを追いかけてゆく。丸一日、詩人の言葉を眼で読み、耳で聴き、カラダに浴びてゆく。そんなことを繰り返しやってゆくと、このカラダに刻まれた生活体験の幅というものが見え透いてくる感じがある。どんな土を踏んできたのだろうか、どんな空を見てきたのだろうか、どんな人を抱きしめ、どんな人に抱きしめられてきたのだろうか、どんなコトバをつぶやいて、受け止めてきたのだろうか・・・。
次の日曜日に踊る吉田一穂の言葉は、向き合う者に問いかけてくる。あなたは何を生きて来たのかと。過去を問われてたじろがぬ肉体、そうありたい。未来を歌う言葉たちを受け止める肉体、そうなりたい。未来とは時間でなく、宇宙のことかもしれない。しかし一穂のつぶやくそれらは夢の宇宙ではなくて、現実の暮らしが織りなす出会いや喪失や猥雑や滑稽や恐怖や歓喜や失念などなど、生きる者のじたばたこそが重なり響き合う生活宇宙を歌っているように思えてならない。だからこそ踊りがいもあるのだが、かなりかなり、手強い。最初に引いた一節、これは挑戦的な言葉だ。舞踏手はもちろん、自分の人生を生きる者だれしも「背骨をまっすぐ立てる」ことにイノチを削る。僕もそんななかの一人だ。
リハーサルの直後、オイリュトミーという舞いのレッスンを行う。クラスでは、からだの力を抜き背骨を立て直す所作を何度も何度も稽古する。これを何よりも重視して、僕らは「ひかりのはしら」と呼んでいる。リズムや呼吸やフットワークを支える基本中の基本。しかし、一穂の言葉にあるように、背骨を感じ意識することは、生き様や存在の仕方を自らに問いかける精神面での深まりが強い。一つの場所で地を踏みながら、あるいは素早く空間を駆け抜けながら、あるいはゆるやかにステップアウトしながら、舞い手は何度も何度も脊柱を立て直し続けるのだ。レッスンをつけつつ、振り付けをしつつ、これだけは僕自身もしばしば一緒になってやる。ちょっと変かもしれないけれど、アクティブな立禅とも言える。世界はゆたかな混沌にみちていて、自らもまた混沌の一粒だ。カオスうずまくなかでミジンコのような私がピンピンと背骨を立てている様子を思えば、なんともいじらしい。
夜、作曲家の鈴木さんから、ソロ公演「風波」の楽想が届いた。楽器やサウンドシステムについて実験や試行錯誤を経て、音の無いダンスを見せてきた。鈴木さんとの共作は3回目。かなりカッコいい音になりそうだ。
_______________________________
information
・10/25(日):ダンスイベント『一穂の空へ』
・10/27(火):舞踏ワークショップ「カラダの夢、ココロの翼」
・11/13(金)&14(土):櫻井郁也ダンス公演『風波overflow』
このコトバに僕はアタマから水を浴びせられたようになる。目覚める。
吉田一穂の代表作『古代緑地』からの一節。
来る10/25のパフォーマンス(吉田一穂オマージュ)の作品リハーサル、そのあと、オイリュトミークラスのレッスン。
どちらもコトバから生まれる踊り、コトバを受けとめるカラダ、そんなことを追いかけてゆく。丸一日、詩人の言葉を眼で読み、耳で聴き、カラダに浴びてゆく。そんなことを繰り返しやってゆくと、このカラダに刻まれた生活体験の幅というものが見え透いてくる感じがある。どんな土を踏んできたのだろうか、どんな空を見てきたのだろうか、どんな人を抱きしめ、どんな人に抱きしめられてきたのだろうか、どんなコトバをつぶやいて、受け止めてきたのだろうか・・・。
次の日曜日に踊る吉田一穂の言葉は、向き合う者に問いかけてくる。あなたは何を生きて来たのかと。過去を問われてたじろがぬ肉体、そうありたい。未来を歌う言葉たちを受け止める肉体、そうなりたい。未来とは時間でなく、宇宙のことかもしれない。しかし一穂のつぶやくそれらは夢の宇宙ではなくて、現実の暮らしが織りなす出会いや喪失や猥雑や滑稽や恐怖や歓喜や失念などなど、生きる者のじたばたこそが重なり響き合う生活宇宙を歌っているように思えてならない。だからこそ踊りがいもあるのだが、かなりかなり、手強い。最初に引いた一節、これは挑戦的な言葉だ。舞踏手はもちろん、自分の人生を生きる者だれしも「背骨をまっすぐ立てる」ことにイノチを削る。僕もそんななかの一人だ。
リハーサルの直後、オイリュトミーという舞いのレッスンを行う。クラスでは、からだの力を抜き背骨を立て直す所作を何度も何度も稽古する。これを何よりも重視して、僕らは「ひかりのはしら」と呼んでいる。リズムや呼吸やフットワークを支える基本中の基本。しかし、一穂の言葉にあるように、背骨を感じ意識することは、生き様や存在の仕方を自らに問いかける精神面での深まりが強い。一つの場所で地を踏みながら、あるいは素早く空間を駆け抜けながら、あるいはゆるやかにステップアウトしながら、舞い手は何度も何度も脊柱を立て直し続けるのだ。レッスンをつけつつ、振り付けをしつつ、これだけは僕自身もしばしば一緒になってやる。ちょっと変かもしれないけれど、アクティブな立禅とも言える。世界はゆたかな混沌にみちていて、自らもまた混沌の一粒だ。カオスうずまくなかでミジンコのような私がピンピンと背骨を立てている様子を思えば、なんともいじらしい。
夜、作曲家の鈴木さんから、ソロ公演「風波」の楽想が届いた。楽器やサウンドシステムについて実験や試行錯誤を経て、音の無いダンスを見せてきた。鈴木さんとの共作は3回目。かなりカッコいい音になりそうだ。
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・10/25(日):ダンスイベント『一穂の空へ』
・10/27(火):舞踏ワークショップ「カラダの夢、ココロの翼」
・11/13(金)&14(土):櫻井郁也ダンス公演『風波overflow』