満開の桜を眺めていると、抑えていた気持ちが溢れてきて仕方が無い。涙もろくなる、感じやすくなる。じっとしているのがいやでたまらない。
こんな季節、知っている限りのエクササイズをやり、手当り次第に音楽を流して踊り倒す。カラダがほぐれるにつれて、脳ミソもほぐれてくる。いま自分がどんなことを思っているのか、何を本当に望んでいるのか、幸せかどうか・・・。動けば、いろんなことがハッキリと輪郭を表す。全身で感じる。現在を。
滞りやら停滞は身体というものに似合わないらしい。
カラダが停滞すると疲れる。それは、やはり不自然な状態だからだと思う。
内と外の交流がカラダの動きなのだと、僕は思う。
エクササイズは「力の流れを想像し、味わう」という楽しい作業だ。
こう思えばこうなった、こう動けばこんな気持ちになった。そのような原因と結果の相関関係を「楽しむ」。これは一種の自己認識だ。
ダンスはカラダと遊ぶことから始まる。カラダとの遊びは現在の自分を知ることにつながっている。世界と私の距離感にも・・・。
空間との遊び、時間との遊び、音や言語や観念や、ついには心の深い場所に潜む本質との遊びにつながってゆく。
ちゃんと生きていますか?
そんな問いを、カラダはいつも発している。