すこし変わったタイトルになってしまったが、また展覧会のこと。

今井紀彰という写真家がいる。公私で友とさせてもらい、何度も踊りを写してもらった。かぶりつくようにシャッターを切る男だったが、アーティストとして出始めて以来、その作品を通じて理知的な構築家の一面を知った。また、熊野古道を写した処女出版では求道的な心の旅人である事も知った。そのような様々な顔が一つに結びついていったのが、この数年手がけてきた「マンダラ・シリーズ」である。その新作を、川崎の岡本太郎美術館で。

太郎賞受賞者のセレクト展。なぜかこの賞を親友が二人(今井の他に彫刻の藤井健仁)もが受賞、不思議だ。先日、僕は岡本太郎さんの言葉が好きで、これをクラス活動の中でオイリュトミーの踊りに振り付けようと思っている由書いたが、これもたまたま。因果か縁か。それはさておき・・・。

先述の通り、今井は近年、写真コラージュによる「マンダラ」を制作し続けてきた。無数の写真が複雑に貼り合わされて巨大な宇宙図になる。一枚一枚は、彼が歩いた街角や旅先の風景や出会った人の姿が写っている。遠目に見れば幾何学コスモスであり、近く見つめれば、ロードムーヴイーのように風が香る。このスタイルを突き詰めながら、今回の新作で彼はビデオとインスタレーションを駆使した。暗箱となった展示室の床にアスファルトが敷き詰められ、僕らの足には都市の路上を歩くあの硬質な質感が甦る。道路工事の人とコラボレートしたんだという。そして目の前のスクリーンにめくるめく映像コラージュが展開する。今回、マンダラは動きを得て、万華鏡となった。雑踏を歩く人、地下鉄、公園の水飲み場、クラブで踊る少女、ショップのウィンドウ。そう、見慣れた東京風景がキラキラと輝く破片のように飛び交い結びつき反射し合う。カナカナという蝉の声が聞こえ、マンダラの内部に懐かしいような草木の緑があらわれる。やがて青空が広がり、東京風景は消える。マンダラそのものも消えてゆく、シャボン玉のように。あとに残るのはいま踏んでいる足元の質感。静かな闇のなかでアスファルトを踏んで立つ私。ここに、ひとつの作品が成立する。作者の気持ちが観る者の肉体感覚や生活ドラマに着床するのが現代の作品成立の瞬間だ。今井はこのツボを押さえて、さわやかだ。ひとつの旅路がおわり、新たな旅が始まっているような身軽さ。
今井は動きのある男だ。体で考えている。さまざまな顔をたずさえながら、街を駆け抜け、もう次のシャッターを切っているに違いない。できたての作品を観ながら、もう次なる宇宙図を期待してワクワクするのだった。