ターム変わりということもあるのか、このごろ再会や出会いが相次ぎます。きのうの稽古では、公演を見てアルゼンチンからのダンサーが、きょうは久々の顔が複数。こんなとき稽古前後のちょっとした会話がうれしい・・・。

うれしい会話といえば、書き忘れていたことが。(ダンスと生活に関係するので、一応書きます)

ちょっと前ですが、久々に稽古に来た方がいて、時間出来たの?って訊いたんです。「いえ、忙しいから来ました」えっ、大丈夫なんですか?「もう、仕事も生活も色々忙しくなりすぎたので、踊ります。自分の時間を削っちゃうと、どんどん意地悪になる気がする。忙しさに迷いこんじゃった感じがして。周りの人にもきつくなるし、リズムを失えば失うほど、どんどん忙しくなってゆくし、カラダを動かしに来ると色々吹っ切れるし、ごはんとかもおいしいし・・・。」色々訊くうちに、とても深いことを言ってくれました。「踊りは自分を見つめる時間ですから、ちゃんとやりたい」とキッパリ。なんかカッコいいなこの人。ちょっと感動しちゃいました。教える側として言うべきことを、練習生の人が言ってくれた。たしかに、忙しく仕事をこなしながら、ほとんど休まず10年以上練習している人がウチには何人かいます。味のある、深い踊りをします。わずかな動きに生活がちゃんと見える。

僕も・・・。と思い出しました。マスコミに勤めていたので、えらくバタバタして自分を見失いかけていたんですが、ダンスの稽古で自分を見つめる時間を得て、恢復につながった。それ以前から踊ってたんですが、あんまり先が見えてこないから、真面目に働かなきゃ、なんて勝手に思って「仕事」に逃げたんです。迷って、自分を見つめる眼をそらしてしまった。体操をしていた頃にもそんなことがあった。小学校、成績が悪いので、体操が好きだったのに、やめて学習塾にした。成績は伸びたんだけど、友達が減って、なんだかささくれだったココロになっていた。それで、また動き出して、成績もまた落ちましたが、友達も戻ってきた。体操選手にはなれなかったけど、自分自身には、なった。

迷っている。って、いろんな人が言ってきます。迷っているからダンスなんかしてみようかなとか、ダンスのなかで迷っているからどうしようかな、とか。短時間でも向き合って話していると空気がパッと軽くなることがあって、ありがとうとか、言って、別れるんですが、次に会ったときにはなぜか「踊ります」となっている。解放区に入ってみようということでしょうか。それで、何か新しくなったような顔でカラダを動かす表情、これは何とも人間味があって愛おしくなる。トレーニングなんかの途中でフッとほっぺが紅潮してゆるむんですね。練習生の人なんかでも迷いを打ち明けてくれたあとに、ダンスにパッと明るさが射し込む事が多い。一歩前進するというか、カラダが軽くなって眼に光が入る一瞬がある。稽古し続けた分強くなったカラダは、続けるために吹っ切った迷いの重量分、軽くなってゆくんでしょうか。こんなことが沢山沢山重なりながら、ダンスはダンスになってゆくような気がしています。(強く鍛えたり、優しくゆるめたりの連続が、カラダに情を与える)

稽古も迷いますし、日常の迷いが稽古の継続を邪魔することもあります。それで、続けてゆくには色んな迷いをどんどん吹っ切ってゆくしかない。続けてゆくことが誰にも真似できない結果につながるのは、吹っ切り続けた無数の迷いのおかげかもしれません。ふっきれる、って言いますけど、迷いって解決するというより、グッと向き合って吹き飛ばすしかないんだなあ、って、よく思うんです、どうかな。僕もほとんど年中迷っていて、大きな迷いもあるし、小さな迷いもあるんですが、内にも外にも迷路が広がってるっていう感じさえすることがあるんだけど、いままで稽古に無我夢中になること”だけ”で吹っ切れてきました。迷いは保守から生じるけれど、ミューズ(歌や踊りの女神)はいつも保守保身をたたき壊そうとしますから。

気持ちがブルーなときは踊って晴らします。
深刻なケンカをしたときは踊って忘れ、嘘をついたときは踊って汚れを落とします。
体調が悪いときも踊って切ります。
運とか金回りが悪いときも踊って乗り切ります。
問題があったり、悩んだり、迷ったりしたときは、絶対カラダを動かす。
それがなぜか、いいみたいなのね。

考えてみれば、踊りや歌は苦しいときのためにこそ必要だったという歴史を持っている。踊りは祈りだったわけで・・・。

迷いと言えば、踊りをやめようと思ったことも。たとえば父が倒れた時なんかもそうでした。癌がどんどん悪くなって衰弱してゆく頃。ダンスなんかしてないで看病なり沢山働いて治療代をかせぐなり、なんて知人やら親戚やらに言われてずいぶん迷ったけど、一回稽古をさぼって帰省したら病院のベッドでこう言われた。「おまえ、きょうは休みなのかい?」と。それで、いいえ休んだんですよと言うと「そうかいありがとう」って言うんですが、そのあと「おれのせいで悪いね」と言う。その感じが虚しくて。それで、ハッとして「もう来ないね」と言い残したんです。ただただ練習ばっかりに集中して、死ぬその日まで会わなかった。そいういう看取り方で行こうと決めた。
「あれが会いにこないというのは、がんばっているのだから、おれもがんばる」と言って苦痛と闘い続けたんだそうです。かなり迷い続ける中を無理矢理に踊り倒した日々だったのだけれど、大きな迷いは「担い」によって吹っ切れることもあるんでしょう、悪いことをした気はしません。いまの活動とか作品の基盤には、どうもそのころの強引ながんばりがバンと座っている気がします。