初山滋さんの絵本原画展(いわさきちひろ美術館東京)。たずさわった家族の勧めもあり、鑑賞。すごく良かったので一言。
大正から昭和、芸術文化の激しい変動期に活躍した氏の絵本は日本のエスプリ。いまの世相にはない品の良さが、失われつつある麗しさをつないでくれる。
僕は、小学校入学のとき、光村出版の国語教科書で、この人の絵に出会った。はじめて手にした教科書だ。
科目は得意ではなかったけれど、教科書の表紙や挿絵が楽しく、しょっちゅう眺めていたのを思い出す。
ああ、あの絵を描いてくれたひとだ・・・。
「国語・一年生」
その原画を、大人になって、あらためて観た。
描かれた人物の何と舞踊的なことか。手のひらの表情、背筋や足の伸び具合。まるでディアギレフのロシアバレエだ、土方巽の東北歌舞伎だ。音楽が聴こえてきそうな身体の戯れが、夢をそそる。記録のどこにも氏の踊りに対する何かは出て来ないが、イマージュの中で、この人のセンスは常にコレオグラファーであったにちがいない。
(人間は、愛くるしい生き物なのだと、氏の絵は告げる。諸悪あるが、僕らはそのことを信じて良いのではないか。)
日本の村人も欧州のお姫様も、みんな幾何学のように端整な腰つき、ひかりに跳びたちそうな踵、パッとひらいた手のひらの指先まで明るみを醸し出す。キュビズムの肯定的未来観、ダダイズムの無垢、さまざまな「ハイカラ」が子どもの夢に響いて可憐。それゆえ現実の哀しさを歌う。明るい色彩が響き合う中にピタリと平面化されたヒトのカタチは影絵のように儚いから・・・。絵の中・芸術の中にしかないユートピアを描き切るから、大人には切ない。こんな景色を生身のカラダで出来ればなあ。と、ため息をつく。眺めつつ、嫉妬さえ出た。絵描きとは、何と気ままで自由なのか。
岩波、福音館などの絵本のほか、吉祥寺の絵本ショップ「トムズ・ボックス」から小川未明集、旧約聖書など復刻が出ているとのこと。素敵なので、ぜひ。
大正から昭和、芸術文化の激しい変動期に活躍した氏の絵本は日本のエスプリ。いまの世相にはない品の良さが、失われつつある麗しさをつないでくれる。
僕は、小学校入学のとき、光村出版の国語教科書で、この人の絵に出会った。はじめて手にした教科書だ。
科目は得意ではなかったけれど、教科書の表紙や挿絵が楽しく、しょっちゅう眺めていたのを思い出す。
ああ、あの絵を描いてくれたひとだ・・・。
「国語・一年生」
その原画を、大人になって、あらためて観た。
描かれた人物の何と舞踊的なことか。手のひらの表情、背筋や足の伸び具合。まるでディアギレフのロシアバレエだ、土方巽の東北歌舞伎だ。音楽が聴こえてきそうな身体の戯れが、夢をそそる。記録のどこにも氏の踊りに対する何かは出て来ないが、イマージュの中で、この人のセンスは常にコレオグラファーであったにちがいない。
(人間は、愛くるしい生き物なのだと、氏の絵は告げる。諸悪あるが、僕らはそのことを信じて良いのではないか。)
日本の村人も欧州のお姫様も、みんな幾何学のように端整な腰つき、ひかりに跳びたちそうな踵、パッとひらいた手のひらの指先まで明るみを醸し出す。キュビズムの肯定的未来観、ダダイズムの無垢、さまざまな「ハイカラ」が子どもの夢に響いて可憐。それゆえ現実の哀しさを歌う。明るい色彩が響き合う中にピタリと平面化されたヒトのカタチは影絵のように儚いから・・・。絵の中・芸術の中にしかないユートピアを描き切るから、大人には切ない。こんな景色を生身のカラダで出来ればなあ。と、ため息をつく。眺めつつ、嫉妬さえ出た。絵描きとは、何と気ままで自由なのか。
岩波、福音館などの絵本のほか、吉祥寺の絵本ショップ「トムズ・ボックス」から小川未明集、旧約聖書など復刻が出ているとのこと。素敵なので、ぜひ。