22日の「舞踏」クラスに続いて、きょうはダンスクラス。両方に参加された方も多かったので、僕の振付けに含まれる基礎技術の反復を行いながら、踊りと「禅」について、お話をしました。ダンスは楽しいものです。「楽しい」とは、イノチ満ち足りること、自己と他者が響いてアルこと。僕は、ダンスの根本を問うてゆくならば、存在について・自己について、のさまざまな思索・実践に結びついてゆくと考えています。踊るということは、ピュアな自分を見つけ出し解き放つことであり、同時にまわりの環境との関わり具合、しいては自己を含めた宇宙万象のサイクルにグルーヴ/共感してゆくことに繋がっていると思います。(出来ているかどうか以上に、その途上にあること)そのような視点で考えてゆくならば、「禅」という文化に、踊りは程近いのではないかと思うようになってきたのです。禅画「十牛図」を視野に置くならば、それは明らかとなるに違いありません。「さがす」ことを始まりに、「一体化し」、ともに「空」となり、ふたたび人の往来の中に「戻ってくる」という流れは、「踊りの稽古=身体との交感作業」そのものに感じられるのです。じっと座る禅もあるが、たえず動き続ける禅もあってよいのではないか、そのような思いから、ダンスも一種の禅「動禅」なのではないか、と仮定してみたのです。先日22日の舞踏クラスでは、赤ちゃんの動きを各自で思い出しながら、生命体としてのご自身を体験していただきました。赤ちゃんというのは、誰もの出発点であり愛わきあがる姿ながら、日々遠のいてゆく自己の源像でもあります。動きつつ、それを懸命に思い出すというのも良いのではないかと思ったのですが、これもまた、禅に言う「尋牛」すなわち探求の初発点になりうるのではないかとのレッスンでした。「じっくり/ゆっくり」を基本に置く舞踏クラスに対して、ダンスクラスでは、よりスペーシフィック・リズミック・スピーディーな感性で僕が振付けをするわけですが、その基本は気持ちのよい動きの探求で上手下手ではない。「快・不快」に向けて活用するかどうか、それに耐えうる振りかどうか。むろん意味合いの込め方や心は各自にゆだねる。そうすると「収縮と拡散」や「硬化と軟化」すねわちエネルギーの根本法則がテーマ/モチーフにならざるを得ない。(このクラスではエネルギーの躍動として身体を活性化させる方針)これは、より具体的な禅に近いと思います。背筋を伸ばして座ること、それは、下方の重力に親しくしつつ、上方の光に頭部を解放する「動き」に他ならない。これを、さまざまな姿態のなかに感受するならば、あらゆる身体運動は「天・地・人」をつなげるエネルギーの流れをメディテートすることにつながってゆくのではないか、という考えです。クラス後は共感の声もあり。これからどんな展開になってゆくでしょうか。(きょうは、ちょっと難解な記事になってしまったかも、ごめんなさい)
さて、明日は基礎クラス。むつかしいことはさておき、美しいプロポーションに向けてのフィジカルレッスンです。呼吸法・ヨガ・バレエ・ウォーキングなどなどから重要なものを抽出。カラダの調整・活性化のためのエクササイズをしながら僕自身もリフレッシュの日なので、楽しみです。誰でもいつでも遊びに来て下さい・・・!

新年度クラスメンバー募集中

クラス案内