河瀬直美さん、という映画監督を、僕はダンサーだと勘違いし続けている。
僕がダンスで追いかけているものと、どこか親しい・・・。
新作、ようやく観ることができた。
心の資源を、この人はつくっている。
人間の最初から最後まで、あるいは、最後から最初まで、見つめる覚悟なのだろうか。
身を削って、この、緑の叙事詩をつくられたのだろう。
つぶやきによる、至福の演劇が、カメラと旅をしていた。
人々の吐息が、風に同化するままに記録されて、時に、賛美歌を幻聴してしまった。
境い目を超えていくかのように、森に入る。
樹々は仏さま。
架空の人・現実の人・私たちさえも、風とさまよう。
緑の迷宮は愛につながっているのかもしれない。
土に身を投じることは、抱きしめることに近しいのかもしれない。
存在することを、行為すること。やはり人間は、自らを燃やす存在か。
果てのない旅のどこかに、私たちはいる。
草たちの視線と一緒に。太陽の視線を感じながら。
行為し、消耗し、忘却しながら、ほんとうに大事な記憶をさがす。
これは、踊りの態度にとても近い。
また、背を押されてしまった。
ps:クリアな構造。切り詰められた話法。観客の想像力への信頼がなければ、この映画は出来ないと思った。ありがたい。あえて語ろうとせず、問いかけようとさえせず、この人の作品は、いつも、ひたすらそれ自身として、懸命に立っていてくれる。強情さが、やさしい。好きだ。
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新作、ようやく観ることができた。
心の資源を、この人はつくっている。
人間の最初から最後まで、あるいは、最後から最初まで、見つめる覚悟なのだろうか。
身を削って、この、緑の叙事詩をつくられたのだろう。
つぶやきによる、至福の演劇が、カメラと旅をしていた。
人々の吐息が、風に同化するままに記録されて、時に、賛美歌を幻聴してしまった。
境い目を超えていくかのように、森に入る。
樹々は仏さま。
架空の人・現実の人・私たちさえも、風とさまよう。
緑の迷宮は愛につながっているのかもしれない。
土に身を投じることは、抱きしめることに近しいのかもしれない。
存在することを、行為すること。やはり人間は、自らを燃やす存在か。
果てのない旅のどこかに、私たちはいる。
草たちの視線と一緒に。太陽の視線を感じながら。
行為し、消耗し、忘却しながら、ほんとうに大事な記憶をさがす。
これは、踊りの態度にとても近い。
また、背を押されてしまった。
ps:クリアな構造。切り詰められた話法。観客の想像力への信頼がなければ、この映画は出来ないと思った。ありがたい。あえて語ろうとせず、問いかけようとさえせず、この人の作品は、いつも、ひたすらそれ自身として、懸命に立っていてくれる。強情さが、やさしい。好きだ。
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