ほびっと村学校・舞踏クラス。
このクラスは・・・、
・それぞれが、ダンスの発生を体験しうる場をもちたくて、開きました。
・ほんとに初めて踊る人も、実は経験者である人も、みんなが「初めて」に還っていける、場をもちたくて、開きました。
・「身体・肉体・からだ・カラダ」に親しんでいく場所・時間・稽古です。
~~~~~~~~~~~~~~~
「舞踏」それは、つくるのでなく、生み出すのでもなく、さまざまなものごと・できごとを感じ親しむなかで「発生するうごき」を信頼していくダンスの態度だと、僕は考えています。
6/26の稽古は、上記のことを改めて確認できるような空気でした。
たとえばこんなふうに手のひらを動かしてみましょうか。
それを肘に、腕全体に、出来ることなら胸に、背中に。
さらに可能ならば、この場所に力を解放してみましょうか。
どんなふうにすれば気持ちよく出来るかな~、
どんなふうにすればスッキリ出来るかな~、
どんなふうにすれば胸に伝わるんだろう、肚に、背骨に、足に、
どんなふうにすれば・・・、
が続きながら、息が入る、音が入る、コトバが、音楽が・・・、カラダに「入って」くる。
そんな試行錯誤が、全身のうねり、波へ。
座っていたカラダは立ち上がり、立つ場所一点への「情」。
くねり、伸び、パンパンにひろがり、また屈曲して。
手のひらを握る、ひとつの心情から発生する、さまざまな全身のうごき。
たまらぬなかでの螺旋的拡大へとつながってゆき、タイムアウト。
稽古のクライマックス、最後5分は、バッハの「G線上のアリア」と踊っていました。
少しばかりの言葉添えを道案内としていただきながら、ダンスの状態へと入っていっていただけた感があります。
僕は、すぐに嬉しくなってしまうので、よかったよかったと言ってしまうのですが、みなさんご自分に何らかの課題を見つけ、それを僕に教えてくれながら家路につかれました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ほびっと村学校・舞踏クラス。
いつも最初は、僕の投げかけから始まるのだけれど、最後にはご自身で見つけた稽古になっているようです。
オイリュトミークラスにも続けて参加された方が複数いられましたが、やはり動きが深くなっていました。
自由に動ける舞踏は、型式のあるオイリュトミーとも相互作用しているようです。
踊りたいだけ踊れる。
試みたいだけ試みられる。
そういった時間・場所・きっかけを、
この慌ただしく制限だらけの大都市に、
きちんきちんと確保していく役目が僕の仕事なんだなあ、と思います。
クラス終了後、プロデュースのTさんと少し会話。
「誰もが入って来れるんですね。
「いつからでも練習には参加できるんですね。
「人の輪はクローズしていませんよね。
「踊りは楽しめましたか・・・。
シンプルだけれど、引き締まるような会話。
そこに差しはさんでいただける、心強い微笑。
この方との会話には、人の流れを見守った個性の流儀が感じられます。
大都市に小さな村をつくり何十年。
とてもいい感じにぽつりと存在する、このクラスの場所「ほびっと村学校」そして、併設の「ナワ・プラサード書店」の貴重さ。
欧米とはちがって、たったひとつの書物、たったひとりのアーティストと、たったひとりの個人が「出会う」ことが、この国の文化をつないでいきます。
個と個の出会い、という最小単位での文化。眼に見えるスケールは小さくとも、純粋であり、根は深いのではないかと思います。
それを見据えての、この場所。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私事ですが・・・。
10代の最後、闇にさえ共感しようという、強靭な精神性に背を押されたのが、大野一雄氏による舞踏公演「ラ・アルヘンチーナ頌」そして、土方巽氏最後の作品群の鑑賞でした。
動きの中に、次元を乗り越えていこうとする意志の存在を感じたのが、イスラムのメヴレヴィー旋回舞踏団による「セマー」の実演や勉強会でした。
響きたわむれあう諸元素のひとつとして、己を体験する方向を与えてくれたのが、「オイリュトミー」の長く苦楽ある訓練生活でした。
確固たる人をたより、カタチあるものを受動しつづけた20代が終わり、「好きにやって良い」ことの困難にぶつかりました。
30景ほどの作品をこころみながら、うちひしがれたり喜んだり・・・。
それで、
素朴を通して明るさへ、丁寧を通して確かさへ、
かなうことならば、光源そのものとなるような、
「光の舞踏・Yesの舞踏」をさぐりたい。
いま、そう思っています。
「身を信ずることは、希望につながる」と思いますので。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、
始めたばかりの「舞踏クラス」には、ここに書ききれないようなアレコレを注ぎたいと思っています。
誰もが真剣になって「身」に親しんでいく場。
それを求めて4つのクラスを続けています。
そのなかで、「舞踏クラス」は、もっとも開放的でありたいと思っています。
即興・自由な動き、なんぞと言ってしまえば、みもふたもありませんが、
きちんと遊べば、思いのほか身体は無限に動いてくれるものです。
難しいことはいったんさておき、せっかく与えられた「カラダ」とじっくりつきあってみましょう!
スタイルをなぞるのでなく、まず素朴に。
そして、丁寧・真剣に身体と遊ぶ時間をもつ。
これが、ダンスの楽しさを知る入口と考えたいのです。
入口に、「舞踏」と名付けたのは、このように呼ばれるダンスが、態度・衝動を大事にしながら今でも強く定式化を拒否しつづけ、「試みること」を続けているからであり、世間やメディアからの認知から逸脱する、未知数の可能性を意識し共有しようとしているからです。僕は「舞踏」を尊敬します。わけの分からぬ踊りを、あえてやる人は、「己のわけのわからなさ」をわきまえていると思うのです。
自由って、どんなでしょうか。
自然って、どんなでしょうか。
わからないです。
わからぬことに、正直になりたいです。
親から、ウソをつくな、と教わったけれど、やっぱり難しかった・・・。
学校の先生から「みんな」と呼ばれたけれど、いまだに「みんな」の一人になれていない・・・。
ウソをつかず、共に存在する。
すなわち「ひと」に成る。
出来ているのだろうか・・・。
せめて、その難しさにチャレンジしたいです。
馬鹿者、正直者。
そんな存在への道を、踊りが教えてくれるかもしれない。
踊りとは無限の共振。
スタイルではない。と断言する、ありかた、態度、真摯さ。
わけもわからぬまま踊り、舞踏家と呼ばれることもあるなかで、それを受けねばと思い、恥ずかしさ・失礼を感じながら、勇気を持って名乗ってみました。
身体・こころ・気持ち・思い・そしてまた、身体。
かけめぐるエネルギーをめぐる。
存在をめぐる。
場所を、空気を、響きをめぐる。
めぐりめぐること。動き・・・。
熱である。
時である。
場である。
私自身である。
そのようなことを、
あくまで不器用に、
あくまで一緒に、
やっていきたいという衝動が、あります。
参加方法など
このクラスは・・・、
・それぞれが、ダンスの発生を体験しうる場をもちたくて、開きました。
・ほんとに初めて踊る人も、実は経験者である人も、みんなが「初めて」に還っていける、場をもちたくて、開きました。
・「身体・肉体・からだ・カラダ」に親しんでいく場所・時間・稽古です。
~~~~~~~~~~~~~~~
「舞踏」それは、つくるのでなく、生み出すのでもなく、さまざまなものごと・できごとを感じ親しむなかで「発生するうごき」を信頼していくダンスの態度だと、僕は考えています。
6/26の稽古は、上記のことを改めて確認できるような空気でした。
たとえばこんなふうに手のひらを動かしてみましょうか。
それを肘に、腕全体に、出来ることなら胸に、背中に。
さらに可能ならば、この場所に力を解放してみましょうか。
どんなふうにすれば気持ちよく出来るかな~、
どんなふうにすればスッキリ出来るかな~、
どんなふうにすれば胸に伝わるんだろう、肚に、背骨に、足に、
どんなふうにすれば・・・、
が続きながら、息が入る、音が入る、コトバが、音楽が・・・、カラダに「入って」くる。
そんな試行錯誤が、全身のうねり、波へ。
座っていたカラダは立ち上がり、立つ場所一点への「情」。
くねり、伸び、パンパンにひろがり、また屈曲して。
手のひらを握る、ひとつの心情から発生する、さまざまな全身のうごき。
たまらぬなかでの螺旋的拡大へとつながってゆき、タイムアウト。
稽古のクライマックス、最後5分は、バッハの「G線上のアリア」と踊っていました。
少しばかりの言葉添えを道案内としていただきながら、ダンスの状態へと入っていっていただけた感があります。
僕は、すぐに嬉しくなってしまうので、よかったよかったと言ってしまうのですが、みなさんご自分に何らかの課題を見つけ、それを僕に教えてくれながら家路につかれました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ほびっと村学校・舞踏クラス。
いつも最初は、僕の投げかけから始まるのだけれど、最後にはご自身で見つけた稽古になっているようです。
オイリュトミークラスにも続けて参加された方が複数いられましたが、やはり動きが深くなっていました。
自由に動ける舞踏は、型式のあるオイリュトミーとも相互作用しているようです。
踊りたいだけ踊れる。
試みたいだけ試みられる。
そういった時間・場所・きっかけを、
この慌ただしく制限だらけの大都市に、
きちんきちんと確保していく役目が僕の仕事なんだなあ、と思います。
クラス終了後、プロデュースのTさんと少し会話。
「誰もが入って来れるんですね。
「いつからでも練習には参加できるんですね。
「人の輪はクローズしていませんよね。
「踊りは楽しめましたか・・・。
シンプルだけれど、引き締まるような会話。
そこに差しはさんでいただける、心強い微笑。
この方との会話には、人の流れを見守った個性の流儀が感じられます。
大都市に小さな村をつくり何十年。
とてもいい感じにぽつりと存在する、このクラスの場所「ほびっと村学校」そして、併設の「ナワ・プラサード書店」の貴重さ。
欧米とはちがって、たったひとつの書物、たったひとりのアーティストと、たったひとりの個人が「出会う」ことが、この国の文化をつないでいきます。
個と個の出会い、という最小単位での文化。眼に見えるスケールは小さくとも、純粋であり、根は深いのではないかと思います。
それを見据えての、この場所。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私事ですが・・・。
10代の最後、闇にさえ共感しようという、強靭な精神性に背を押されたのが、大野一雄氏による舞踏公演「ラ・アルヘンチーナ頌」そして、土方巽氏最後の作品群の鑑賞でした。
動きの中に、次元を乗り越えていこうとする意志の存在を感じたのが、イスラムのメヴレヴィー旋回舞踏団による「セマー」の実演や勉強会でした。
響きたわむれあう諸元素のひとつとして、己を体験する方向を与えてくれたのが、「オイリュトミー」の長く苦楽ある訓練生活でした。
確固たる人をたより、カタチあるものを受動しつづけた20代が終わり、「好きにやって良い」ことの困難にぶつかりました。
30景ほどの作品をこころみながら、うちひしがれたり喜んだり・・・。
それで、
素朴を通して明るさへ、丁寧を通して確かさへ、
かなうことならば、光源そのものとなるような、
「光の舞踏・Yesの舞踏」をさぐりたい。
いま、そう思っています。
「身を信ずることは、希望につながる」と思いますので。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さて、
始めたばかりの「舞踏クラス」には、ここに書ききれないようなアレコレを注ぎたいと思っています。
誰もが真剣になって「身」に親しんでいく場。
それを求めて4つのクラスを続けています。
そのなかで、「舞踏クラス」は、もっとも開放的でありたいと思っています。
即興・自由な動き、なんぞと言ってしまえば、みもふたもありませんが、
きちんと遊べば、思いのほか身体は無限に動いてくれるものです。
難しいことはいったんさておき、せっかく与えられた「カラダ」とじっくりつきあってみましょう!
スタイルをなぞるのでなく、まず素朴に。
そして、丁寧・真剣に身体と遊ぶ時間をもつ。
これが、ダンスの楽しさを知る入口と考えたいのです。
入口に、「舞踏」と名付けたのは、このように呼ばれるダンスが、態度・衝動を大事にしながら今でも強く定式化を拒否しつづけ、「試みること」を続けているからであり、世間やメディアからの認知から逸脱する、未知数の可能性を意識し共有しようとしているからです。僕は「舞踏」を尊敬します。わけの分からぬ踊りを、あえてやる人は、「己のわけのわからなさ」をわきまえていると思うのです。
自由って、どんなでしょうか。
自然って、どんなでしょうか。
わからないです。
わからぬことに、正直になりたいです。
親から、ウソをつくな、と教わったけれど、やっぱり難しかった・・・。
学校の先生から「みんな」と呼ばれたけれど、いまだに「みんな」の一人になれていない・・・。
ウソをつかず、共に存在する。
すなわち「ひと」に成る。
出来ているのだろうか・・・。
せめて、その難しさにチャレンジしたいです。
馬鹿者、正直者。
そんな存在への道を、踊りが教えてくれるかもしれない。
踊りとは無限の共振。
スタイルではない。と断言する、ありかた、態度、真摯さ。
わけもわからぬまま踊り、舞踏家と呼ばれることもあるなかで、それを受けねばと思い、恥ずかしさ・失礼を感じながら、勇気を持って名乗ってみました。
身体・こころ・気持ち・思い・そしてまた、身体。
かけめぐるエネルギーをめぐる。
存在をめぐる。
場所を、空気を、響きをめぐる。
めぐりめぐること。動き・・・。
熱である。
時である。
場である。
私自身である。
そのようなことを、
あくまで不器用に、
あくまで一緒に、
やっていきたいという衝動が、あります。
参加方法など