今日、クラスをやっていて、人は花だ、と思いました。
ダンスクラスだったのですが、何がそう思わせたのでしょうか・・・。

出来ない、ということ(ゴメンなさい。でも最大の褒め言葉です)を、懸命に踊っている姿。
その熱と感情の交差に、なぜかしみじみ美しさを感じてしまった。
ひとりとして、「ごまかしがない」からです。

僕の振付けは、ひとつの動きに納得の見通しがついて、はじめて次の動きを渡していく手法です。
スローです。
そのかわり、ひとつの動きをデザインする前に、自分でうんと試行錯誤していますから、渡した「振り」はおのずとシンプルで覚えやすい。そのぶん、色んな思いが凝縮されているということを、メンバーは大事にしてくれています。
振りに込めたエネルギーの流れや、イメージを語るうち、話は、つい魂や宇宙、命のことにもおよんでしまう。
そして、また動く・・・。

少し踊っていただいては止め、語り合い、また踊っていただいて・・・、というプロセスの中で、心臓が脈打つように「振り」が生きてくる。カタチにイノチが入っていくんです。
そのなかで・・・。
あっ、人と人がつながりはじめている。という確信が生まれたのが今日の稽古です。

つながろうとしている人には優しさが宿ります。
人のつながりは、夢の種子です。
つながりのなかで、僕らは未来を紡いでいくのですから。
それを予感するような肉体の動きを見るうち、一人一人のメンバーが、凛と咲く野花のように見えて来たのです。


世は末法。信じるべき国や家族に亀裂が走り、イノチが悲鳴を上げている。
そのなかで、おのれの生をまっとうするしかない僕らは、なんとも小さな雑草かもしれません。
しかし、「小さなイノチを、いかにまっとうするか」ということが、大きな世界の再生につながる、という時代に僕らは生きていると思います。ひとつひとつの雑草が響き合えば、美しい野原が出現するかもしれない・・・。

必要なのは、戦争ではない。また、革命でもない。小さな、つながりの積み重ね。
それが、大きな調和につながると思います。
ダンスとは、そんな営みにつながるワーク、美しさ優しさを追求する、つながりの芸術だと思います。

愛おしくなるような稽古でした。
ありがとうございます。

PS:
先日、「この世に雑草という名の草はなし」という言葉を知りました。
芯の通った言葉。昭和天皇のお言葉だそうです。
帝として、植物学者として、一人の人間として、世の先を見据えて、切実に仰せになった、お言葉だったのではないでしょうか。誇りをもって、野に咲きたいものです。