今日はオイリュトミークラスの稽古日。練習テーマは「ていねいな動き」。オイリュトミーの基本動作をもちいながら、体の動きと気持ちの変化について、じっくりと体験しました。たまたま人数が少なかったこともあり、一人一人と意見交換をしながら、納得がいくまで動きを楽しみました。それは、必然的に「動きの原点」をさぐる練習にもなったと思います。以下の文章は、今日のクラス内容とも大きく関わっています。
オイリュトミーって何?・・・その2
「ゆるんで、響く」
オイリュトミーは1世紀近い歴史をもつ舞踊様式です。教育や治療分野での注目度が、急上昇している感がありますが、その背景には「自然体」での身体運用と「精神と身体運動の相互関係」を徹底的に追及したメソードをもっている点があると思います。
心がつねに動くものであるように、体もまた、つねに動き続け、とどまることがない。これが、オイリュトミーでいう自然体。
何かに「こだわり」、こだわりが「こわばり」を生み、ついには身動きとれぬ状態に。なんていうことになった経験が、僕にはあります。がんばっているつもりが、こだわっているだけだった・・・。毎日が息苦しくて、病気になりそうでした。そんななかでスタートしたのが、オイリュトミーの練習。とにかく定期的に息抜きをしたかった、というのが本音でしょうか。でも、その「息抜き」こそが決定的に重要なことだったんだなあって、最近思うんです。
息を抜く、つまり、呼吸をいれかえること。もっと言えば、ハ~~ッと、全部吐き出すんですね。体では「ゆるめる」ということ。
まず、まっすぐに立って、今日一日に背負った荷物をどっとおろすように体をゆるめる。そして、注意深く「立ち直す」んです。立ち方を探るようにして、何度かこれを繰り返す。最初はそ~っと、徐々に力強く。眠りから目覚めるように・・・。
そして音をきく。あるいは語りかける声をきく。聴く、というより、浴びる、ように意識する。音や声が入ってくる瞬間をとらえて、パアッと体をひらいてみる・・・。
これがオイリュトミーの稽古の第一段階。初心者の方も、続けている方も、これだけはちゃんと!という練習で、慣れてくると、最小限の力で動くことにもつながっていきます。
「ゆるめた」心身で、外側から訪れる音や声に反応する。それは素直なからだをつくる練習でもあります。
僕のクラスでは、ダンスでも、基礎クラスでも、レッスンにこの練習を入れます。社会生活のなかで、僕らは、緊張することになれています。自ら「ゆるむ」ことは、ちゃんと意識していないと難しいんです。
ところで、オイリュトミーは、しばしば「響きの身体芸術」と呼ばれます。
音が伝わる時に空気が振動するように、また、熱を伝える水が対流するように、さまざまなイメージと関わりながら全身の仕草が柔軟に変化しつづける芸術。それがオイリュトミーであり、関わりの中で変化し続けるありさまを「響き」ということばに託しているのだと思います。
心に響く、なんていうことばもありますが、あれは感動したっていうこと。「感じて動く」ですから、「踊る」ことと同じです。また、「響き合う」ということばで「ちゃんと関わりが持てた」ということをあらわしたりもしますよね。
きりがありませんが、とにかく、「響く」ということは、もっともシンプルかつダイレクトな関係づくり。それを「まずはからだで!」というのがオイリュトミーです。
僕ら人間は、いつも関係のなかで生かされています。いい関係をもつためには、豊かに響く心身をつくろうよ、っていうことだと思います。
そして、響くためには、何よりも「ゆるむ」こと。太陽の光と大地の熱のあいだで、ゆるやかなスパイラルをえがいて立っている姿が、互いに近づいたり離れたり、笑ったり泣いたり・・・。そんなイメージをもちながら、練習を楽しんでいます。
PS:今日書いたことは、コンテンポラリーダンスにもつながっていると思います。そのあたり、またあらためてまとめてみますね!!
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「ゆるんで、響く」
オイリュトミーは1世紀近い歴史をもつ舞踊様式です。教育や治療分野での注目度が、急上昇している感がありますが、その背景には「自然体」での身体運用と「精神と身体運動の相互関係」を徹底的に追及したメソードをもっている点があると思います。
心がつねに動くものであるように、体もまた、つねに動き続け、とどまることがない。これが、オイリュトミーでいう自然体。
何かに「こだわり」、こだわりが「こわばり」を生み、ついには身動きとれぬ状態に。なんていうことになった経験が、僕にはあります。がんばっているつもりが、こだわっているだけだった・・・。毎日が息苦しくて、病気になりそうでした。そんななかでスタートしたのが、オイリュトミーの練習。とにかく定期的に息抜きをしたかった、というのが本音でしょうか。でも、その「息抜き」こそが決定的に重要なことだったんだなあって、最近思うんです。
息を抜く、つまり、呼吸をいれかえること。もっと言えば、ハ~~ッと、全部吐き出すんですね。体では「ゆるめる」ということ。
まず、まっすぐに立って、今日一日に背負った荷物をどっとおろすように体をゆるめる。そして、注意深く「立ち直す」んです。立ち方を探るようにして、何度かこれを繰り返す。最初はそ~っと、徐々に力強く。眠りから目覚めるように・・・。
そして音をきく。あるいは語りかける声をきく。聴く、というより、浴びる、ように意識する。音や声が入ってくる瞬間をとらえて、パアッと体をひらいてみる・・・。
これがオイリュトミーの稽古の第一段階。初心者の方も、続けている方も、これだけはちゃんと!という練習で、慣れてくると、最小限の力で動くことにもつながっていきます。
「ゆるめた」心身で、外側から訪れる音や声に反応する。それは素直なからだをつくる練習でもあります。
僕のクラスでは、ダンスでも、基礎クラスでも、レッスンにこの練習を入れます。社会生活のなかで、僕らは、緊張することになれています。自ら「ゆるむ」ことは、ちゃんと意識していないと難しいんです。
ところで、オイリュトミーは、しばしば「響きの身体芸術」と呼ばれます。
音が伝わる時に空気が振動するように、また、熱を伝える水が対流するように、さまざまなイメージと関わりながら全身の仕草が柔軟に変化しつづける芸術。それがオイリュトミーであり、関わりの中で変化し続けるありさまを「響き」ということばに託しているのだと思います。
心に響く、なんていうことばもありますが、あれは感動したっていうこと。「感じて動く」ですから、「踊る」ことと同じです。また、「響き合う」ということばで「ちゃんと関わりが持てた」ということをあらわしたりもしますよね。
きりがありませんが、とにかく、「響く」ということは、もっともシンプルかつダイレクトな関係づくり。それを「まずはからだで!」というのがオイリュトミーです。
僕ら人間は、いつも関係のなかで生かされています。いい関係をもつためには、豊かに響く心身をつくろうよ、っていうことだと思います。
そして、響くためには、何よりも「ゆるむ」こと。太陽の光と大地の熱のあいだで、ゆるやかなスパイラルをえがいて立っている姿が、互いに近づいたり離れたり、笑ったり泣いたり・・・。そんなイメージをもちながら、練習を楽しんでいます。
PS:今日書いたことは、コンテンポラリーダンスにもつながっていると思います。そのあたり、またあらためてまとめてみますね!!
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