今日の話題は「背筋」です。このところ、すべてのクラスで基本練習として、背筋についての稽古を強化しています。僕は、オイリュトミーから得ることの出来る人間観察を、創造行為としてのダンスに反映していくことに取り組んでいるのですが、そのなかで特に大事に思えるのが背筋に対するイマジネーションの展開です。
自分のパフォーマンスでも、さまざまなニュアンスを試みながら、舞台を踏むたびにまだまだ納得がいかず、課題として、もっとやりたいと思い続けていることが、背筋の立て方なんです。
美しい背筋を獲得するのは、ダンサーにとって、とても大きな課題。そこには、ダンスという芸術の核があるように思えてなりません。バレエだってフラだって、背筋の芸術。前衛舞踏でも故・土方巽さんなんか、背筋のビビッと決まった瞬間が強烈でした。時を越え、地を越え、ダンサーたちは背筋にこだわり続けてきました。踊りに限らず、背筋の美しさって、人の魅力に肉迫していく感じがあります。
他ならぬ、わがシュタイナーも、この「背筋」にこだわり続けた一人。彼の創始した舞踊「オイリュトミー」は、まっすぐ立ったままで空間を移動して踊るのが特徴。だから優美に踊るには自らの背中を絶えず意識せねばなりません。そのため、尾てい骨から脳に至る、ひとすじの流れのなかに、私たちの生命活動を左右するほどの力の波が流れているというイメージで、「ひかりのはしら」という、背筋を伸ばす練習が絶やさずに行われます。僕のクラスでも、それは同様。そして、オイリュトミーで行っていることは、自由なダンスにも有効なのではないかという考えで、ダンスクラス基礎クラスでも、「背筋」というテーマに深く関わっていこうとしています。
生命の流れとしての垂線。天地を結ぶ、一本の線上を波打つ生命力、それが背筋だと僕は思っています。
ダンスの語源は「TAN」というサンスクリット語だそうです。その意味は、ひっぱること、緊張すること。でも、それは固くなることではなく、意識が冴え渡るような、いい意味での緊張感を背筋に与えること。空間と時間の中で、輝くように背筋をただす・・・。そのためには、ただ真っ直ぐになろうとするのではなく、躍動感を与え続けねばなりません。背中は流動物だから、動きとしての緊張感を実現しなければならないのです。
直線が自然界に実在しないにも関わらず、わたしたちがそれを表象することが出来るのは、線が活き活きした運動の残像(響き)として、認識されるからではないでしょうか。留まった固形物は、面の連続体としての印象が強いのですが、動くものに対しては、面の印象は薄れ、むしろ運動の軌跡としての「線」が強く印象に残ります。そして、運動速度が速くなるにつれ、それは水平や垂直という、「直線」の印象を強めていくように思えます。
とすれば、私たちが美しい背筋を獲得するには、きわめて速い動きを、立つという行為の中に実現しつづけるようなイマジネーションを導いていくことになります。
たとえば、歩行するとき、私たちは暗いゆるみのなかから輝きを放つように背筋をたてます。それが不十分だと、しっかりと歩いている感じがしなくなり、姿があいまいになってしまいます。重心が決まり、一歩を進めるということは、頭のてっぺんから点に向けて光を放つようなイメージを持つことと重なります。
歩くことが、舞踊の基本とは、よく聴くのですが、美しい一歩が定まったその瞬間、私たちは一本の光になっているのではないでしょうか。
この世で認識できる、もっともスピーディーな運動体、それは光です。音が空間の拡がりをイメージさせるとすれば、光はとめどなく流れ続ける時間そのものをイメージさせます。美しく輝く背筋が、音を響かせるように歩んでいく姿が実現できれば、私たちはダンスの秘密に一歩近づけるのではないでしょうか。
クラス詳細/申し込み
自分のパフォーマンスでも、さまざまなニュアンスを試みながら、舞台を踏むたびにまだまだ納得がいかず、課題として、もっとやりたいと思い続けていることが、背筋の立て方なんです。
美しい背筋を獲得するのは、ダンサーにとって、とても大きな課題。そこには、ダンスという芸術の核があるように思えてなりません。バレエだってフラだって、背筋の芸術。前衛舞踏でも故・土方巽さんなんか、背筋のビビッと決まった瞬間が強烈でした。時を越え、地を越え、ダンサーたちは背筋にこだわり続けてきました。踊りに限らず、背筋の美しさって、人の魅力に肉迫していく感じがあります。
他ならぬ、わがシュタイナーも、この「背筋」にこだわり続けた一人。彼の創始した舞踊「オイリュトミー」は、まっすぐ立ったままで空間を移動して踊るのが特徴。だから優美に踊るには自らの背中を絶えず意識せねばなりません。そのため、尾てい骨から脳に至る、ひとすじの流れのなかに、私たちの生命活動を左右するほどの力の波が流れているというイメージで、「ひかりのはしら」という、背筋を伸ばす練習が絶やさずに行われます。僕のクラスでも、それは同様。そして、オイリュトミーで行っていることは、自由なダンスにも有効なのではないかという考えで、ダンスクラス基礎クラスでも、「背筋」というテーマに深く関わっていこうとしています。
生命の流れとしての垂線。天地を結ぶ、一本の線上を波打つ生命力、それが背筋だと僕は思っています。
ダンスの語源は「TAN」というサンスクリット語だそうです。その意味は、ひっぱること、緊張すること。でも、それは固くなることではなく、意識が冴え渡るような、いい意味での緊張感を背筋に与えること。空間と時間の中で、輝くように背筋をただす・・・。そのためには、ただ真っ直ぐになろうとするのではなく、躍動感を与え続けねばなりません。背中は流動物だから、動きとしての緊張感を実現しなければならないのです。
直線が自然界に実在しないにも関わらず、わたしたちがそれを表象することが出来るのは、線が活き活きした運動の残像(響き)として、認識されるからではないでしょうか。留まった固形物は、面の連続体としての印象が強いのですが、動くものに対しては、面の印象は薄れ、むしろ運動の軌跡としての「線」が強く印象に残ります。そして、運動速度が速くなるにつれ、それは水平や垂直という、「直線」の印象を強めていくように思えます。
とすれば、私たちが美しい背筋を獲得するには、きわめて速い動きを、立つという行為の中に実現しつづけるようなイマジネーションを導いていくことになります。
たとえば、歩行するとき、私たちは暗いゆるみのなかから輝きを放つように背筋をたてます。それが不十分だと、しっかりと歩いている感じがしなくなり、姿があいまいになってしまいます。重心が決まり、一歩を進めるということは、頭のてっぺんから点に向けて光を放つようなイメージを持つことと重なります。
歩くことが、舞踊の基本とは、よく聴くのですが、美しい一歩が定まったその瞬間、私たちは一本の光になっているのではないでしょうか。
この世で認識できる、もっともスピーディーな運動体、それは光です。音が空間の拡がりをイメージさせるとすれば、光はとめどなく流れ続ける時間そのものをイメージさせます。美しく輝く背筋が、音を響かせるように歩んでいく姿が実現できれば、私たちはダンスの秘密に一歩近づけるのではないでしょうか。
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