ソロ公演を観ていただいた方、助けていただいた方、とても多くの方々との関わりを持つことが出来ました。本当にありがとうございます。

クラスではすでに新たな練習が開始されています。オイリュトミークラス(水)は言語における「子音」と身体の関わりについて、基礎クラス(土)では下半身の安定および胸部から背面の意識化について、ダンスクラス(金)では音楽を体に染みこませていく事をテーマに・・・。
すべて公演直後に具体化したテーマなのですが、それらは今回の公演を通じて自分自身でも直感した課題でもあり、公演の成果や反省点を含んだものでもあります。

僕のクラスのひとつの特徴はいつでも初心者の方が入れるということ。扉を開き続けること。レベルで「切らない」こと。それでいて、経験者の方にとっても新鮮に取り組めるテーマを用意するということです。つまり、直線的にハイレベルへ突き進むのではなく、スパイラルのように、行きつ戻りつしながら、進んでいくという方法を心がけています。

話は変わりますが、気が付くと、舞台がはねてから一週間。この一週間、ぼくはカタツムリのことを思い続けていました。以前書いた、庭の祈りの苗木に水をやっていたとき、一匹のカタツムリを見つけました。そのとき思い出したのが「よいことはカタツムリの速さで進む」という言葉。いつだったか、たまたま観ていた映画の一場面で聴き取り、ひっかかっていたこのフレーズが、実際のカタツムリを見ているときに、ダンスとすごく重なってしまったのです。僕らは肉体と共にある以上、夢のように飛躍することはありません。現実の、日常の速度に付き合い続けます。でも、ダンスをしていると、ごくわずかな身体の変化に一喜一憂があります。それは現実がそのまま夢の世界につながる一瞬でもあります。ダンスは瞬間を味わい尽くそうとする芸術だと思いますが、それは同時に、腰を据えてじっくりと日々の暮らしを大事にすることともつながっていると思うのです。カタツムリはとてもゆっくり進むのですが、どこか優雅でのびやかです。

ダンスは作品も稽古も決して完結するものではないと思います。それは、常にクライマックスをもちながらも出発点へと回帰し、回帰しつつも新しい局面へと「わずかな」成長をとげていきます。私たちの肉体も心も日常という、偉大な進化を担っているからです。何らかの気付きによって、その事を確認することで、私たちは稽古や作品を通して、踊り続けることができるようなかんじがしてなりません。


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