お盆のせいもあり、今日のレッスンは小人数で。ひとりひとりとじっくりと対話できる環境を得て、即興を行うことにしました。沢山の人が一緒になって気ままに踊る楽しさは、互いに一つの時を分かち合い、エネルギーの場をつくりあっている、いわば霊的な祝祭感にみちています。そんな楽しさとはまた別に、少人数での即興は、しっかりと向き合って、ふところを分かち合った対話を行うような、密度の高さと探求のよろこびに満ちています。
僕にとって、レッスンで即興を行うのは、ステージで即興のダンスを踊るのと同じくらいスリリングです。回を追って構築していく作業の努力とは別に、一回性のものは瞬時のやりとりが全てです。そして、ある意味、目の前におられる方の本質が、ごろんとさらけ出されるわけですから、立会をするということも、やはり「見手」としての本性がまるはだかにされる。喧嘩で言えば、素手の一本勝負に近いわけです。本当に親しくなるには、時に真正面から相手に向き合っているんだ、ということを形にして具体的に示していくことが必要ですよね。そんなことを、あえて言葉を排した踊りの世界でもやっていければ、との思いもありました。
ところで、「即興」とは、すなわち興ること、瞬間のできごとに対する関わりです。improviseとは、improve=あらためる+iz(s)e=~化する、ということに他なりません。言い方を変えれば「生かす」ということでしょうか。「活力を与える」「充実させる」・・・。いずれにせよ、それは対象を励まし、活性化するという意志につながるんだと思います。そして、ダンスにおける対象とは、他でもない己の人生を背負った己の肉体であると同時に、今生きている瞬間、立っている場所、ともにある存在すべて。それらとフレッシュに出会おう、という意志が、大きな課題。ということでしょうか。ま、ごくごく身近な一言で言ってしまうと「活き活き」することへの道なんですが・・・。
そういえば、おどりでいう「振り」とは、神道でいう「タマフリ」(死者の魂をうやまい、 はげますことで、自らにも生命を直観すること)に近いのでは!!なんて感じたことがあります。
「活き活きとする」。ただ、その一言のために、昨今、私たちが行っているさまざまな努力は、計り知れないと思います。「活き活きして」いないと、苦しいです、逃げちゃいたくなります。あたりまえのようですが、これはすごいことです。だけど、だれもが担わざるを得ないことでもあります。いただいた生を生き切ることは、逃げることが出来ない命題でもありますよね。だからこそ、僕らは泣いたり笑ったり、時に憂鬱にさえなってしまうのですから。
そんなことを稽古していたせいか、今日のクラスでは、時間の経過と共に、だんだんと踊っていられる方々の立ち姿がりりしくなっていくのが感じられました。もちろん、いろんな動きが出てきてるんですが、目立って感じられるのは「立ち姿」の変化でした。終了後、家路につく背中も、どこか輝いて見え、にわかには別れがたい感じがありました。やっぱりエネルギーは姿に反映されるんだ、ということを確認した思いです。ありがとうございました。
十字舎房・クラスのご案内
僕にとって、レッスンで即興を行うのは、ステージで即興のダンスを踊るのと同じくらいスリリングです。回を追って構築していく作業の努力とは別に、一回性のものは瞬時のやりとりが全てです。そして、ある意味、目の前におられる方の本質が、ごろんとさらけ出されるわけですから、立会をするということも、やはり「見手」としての本性がまるはだかにされる。喧嘩で言えば、素手の一本勝負に近いわけです。本当に親しくなるには、時に真正面から相手に向き合っているんだ、ということを形にして具体的に示していくことが必要ですよね。そんなことを、あえて言葉を排した踊りの世界でもやっていければ、との思いもありました。
ところで、「即興」とは、すなわち興ること、瞬間のできごとに対する関わりです。improviseとは、improve=あらためる+iz(s)e=~化する、ということに他なりません。言い方を変えれば「生かす」ということでしょうか。「活力を与える」「充実させる」・・・。いずれにせよ、それは対象を励まし、活性化するという意志につながるんだと思います。そして、ダンスにおける対象とは、他でもない己の人生を背負った己の肉体であると同時に、今生きている瞬間、立っている場所、ともにある存在すべて。それらとフレッシュに出会おう、という意志が、大きな課題。ということでしょうか。ま、ごくごく身近な一言で言ってしまうと「活き活き」することへの道なんですが・・・。
そういえば、おどりでいう「振り」とは、神道でいう「タマフリ」(死者の魂をうやまい、 はげますことで、自らにも生命を直観すること)に近いのでは!!なんて感じたことがあります。
「活き活きとする」。ただ、その一言のために、昨今、私たちが行っているさまざまな努力は、計り知れないと思います。「活き活きして」いないと、苦しいです、逃げちゃいたくなります。あたりまえのようですが、これはすごいことです。だけど、だれもが担わざるを得ないことでもあります。いただいた生を生き切ることは、逃げることが出来ない命題でもありますよね。だからこそ、僕らは泣いたり笑ったり、時に憂鬱にさえなってしまうのですから。
そんなことを稽古していたせいか、今日のクラスでは、時間の経過と共に、だんだんと踊っていられる方々の立ち姿がりりしくなっていくのが感じられました。もちろん、いろんな動きが出てきてるんですが、目立って感じられるのは「立ち姿」の変化でした。終了後、家路につく背中も、どこか輝いて見え、にわかには別れがたい感じがありました。やっぱりエネルギーは姿に反映されるんだ、ということを確認した思いです。ありがとうございました。
十字舎房・クラスのご案内