進行中の振付作品は、力強い、とてもいい練習になってきました。
振付を行い、それを丹念に練習していく作業には、明確な目標があり、新しいテクニックとの出会いや自らの殻を破っていく達成感があります。そして、与えられた動きに徹することを通じて、余計なことを忘れて、真っ白になった自分の姿に出会うことができるのだと思います。
しかし、ダンスの楽しみ方は、まだまだあります。
ダンスは空間芸術であると同時に時間芸術です。生まれ、消えていく、ということを繰り返す「生き物」です。絶えず変化し、決して留まることがない、そんな側面を楽しむため、ダンスクラスでは、即興の練習がはじまりました。
CDから、そして僕の弾く生ピアノから、いろんな音が流れ、そして消えていく中、動きもまた生まれては消えていきます。即興は、何の準備もなく、いきなり踊るわけですから、そこには動きのみならず、自然にさまざまな感情が行き交うことになります。必ずしもプラスの感情ばかりではありません。
凝縮した集中力と「落ち着き」をキープしてもらうため、時間の経過のなかで、ナビゲートする言葉もすごく繊細になります。この練習は、わずかな言葉や身振りを通じて、僕とクラスメンバーがすごく密度の高いコミュニケーションをとっていく時間かもしれません。
感じたことを動きで表すのではなく、感じた瞬間に「体が動いている」のが即興です。感じている限り、止まることはありません。そして、どんな動きにも、等しく価値があります。それが意識的に感ぜられている限り、です。
ここしばらくのレッスンで強く思ったことは、スタイルや段階を問わず、からだの動きから何かを感じとっていくことに集中することこそ、ダンスの基本条件だということです。
僕のクラスでは「基礎とは感じとること」と言い切っても良いかもしれません。しかし、感じることとは、壊れやすいことでもあります。壊れることを恐れていると、鈍感にならざるを得ないのが現状かもしれません。いろんな事を考えたり、沢山のものに触れすぎて、心が定まらないときも、私たちの感性は鈍くなり、体も感覚もこわばってしまいます。このクラスの練習は、力を抜くというよりは、こわばりを抜く練習ともいえます。さて、今後どんな風に展開するか、楽しみでなりません。
振付を行い、それを丹念に練習していく作業には、明確な目標があり、新しいテクニックとの出会いや自らの殻を破っていく達成感があります。そして、与えられた動きに徹することを通じて、余計なことを忘れて、真っ白になった自分の姿に出会うことができるのだと思います。
しかし、ダンスの楽しみ方は、まだまだあります。
ダンスは空間芸術であると同時に時間芸術です。生まれ、消えていく、ということを繰り返す「生き物」です。絶えず変化し、決して留まることがない、そんな側面を楽しむため、ダンスクラスでは、即興の練習がはじまりました。
CDから、そして僕の弾く生ピアノから、いろんな音が流れ、そして消えていく中、動きもまた生まれては消えていきます。即興は、何の準備もなく、いきなり踊るわけですから、そこには動きのみならず、自然にさまざまな感情が行き交うことになります。必ずしもプラスの感情ばかりではありません。
凝縮した集中力と「落ち着き」をキープしてもらうため、時間の経過のなかで、ナビゲートする言葉もすごく繊細になります。この練習は、わずかな言葉や身振りを通じて、僕とクラスメンバーがすごく密度の高いコミュニケーションをとっていく時間かもしれません。
感じたことを動きで表すのではなく、感じた瞬間に「体が動いている」のが即興です。感じている限り、止まることはありません。そして、どんな動きにも、等しく価値があります。それが意識的に感ぜられている限り、です。
ここしばらくのレッスンで強く思ったことは、スタイルや段階を問わず、からだの動きから何かを感じとっていくことに集中することこそ、ダンスの基本条件だということです。
僕のクラスでは「基礎とは感じとること」と言い切っても良いかもしれません。しかし、感じることとは、壊れやすいことでもあります。壊れることを恐れていると、鈍感にならざるを得ないのが現状かもしれません。いろんな事を考えたり、沢山のものに触れすぎて、心が定まらないときも、私たちの感性は鈍くなり、体も感覚もこわばってしまいます。このクラスの練習は、力を抜くというよりは、こわばりを抜く練習ともいえます。さて、今後どんな風に展開するか、楽しみでなりません。