かな死別

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出張先のタフな現場が終わり、次の週末には半年前から動いていた今年一番、むしろここ数年で一番の仕事が始まるな〜と、撤去作業中に滅多にならない弟からの電話が鳴った。

 

母親が死んでいるのが発見されたらしい。

 

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小さい頃から母は馬鹿にされる対象だった。

滝上町というとても小さな山村のそこそこのお嬢様として育った母は、常識知らずというか世間知らずというか。

掃除もしない

料理はまずい

奇抜なファッション

一貫性の無い趣味

どこでもファルセット

独特の言い回し

誕生日会や家族旅行など、一般家庭ではこれでもかと溢れてる家族らしい思い出が全くない

 

中2で父が死んで、母は抜け殻のようになった

三年後、僕は家を出た

 

しばらく経つと母は見知らぬ男性の家に住んでいた

知り合った経緯はわからない

自分にとって実家、家族、帰る場所といった類のない人生だった

 

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こんなクソ忙しい時に、埼玉という離れた場所で母は死んでいた。

死後3日目のことだった

母として、何一つ良い思い出のない中、一番最悪なタイミングで死にやがった。

死んでもクソババァだった。

 

30度を超える気温はどさんこには厳しかった。

北海道は前代未聞の梅雨入りという中、戸田の火葬場の空はとても青く、そして暑かった。

参列者は2名。

俺と弟

最後のお別れで初めて顔をみた。

倒れた時にぶつけたであろう、顔に殴られたような後があった。

 

見知らぬ土地で

ひっそりと絶命した母

小さめのライブハウスの申し訳ない程度の控え室くらいの部屋でお経あげてもらった。

弟は泣いていた

俺は涙がでない

 

母が骨になってとても小さくなっていた。

そこからはあまり覚えてない

気づけば札幌に戻る飛行機の中だった。

 

手荷物カウンターに無駄に重い骨壷を預けようとしたが断られた

機内の上のスペースに入れようとしたがダメだった

膝の上に置くらしい

出発の機内アナウンスが流れた

「お荷物は上の荷物入れか足元前方の座席の下に」

そんなアナウンスを横目に堂々とこの荷物を膝の上にのせていた

前の席には小さなお子さんと北海道に向けてワクワクしてる若い夫婦がいた

小さなお子さんも膝の上にのせるらしい

 

確かに小さなお子さんは手荷物カウンターに預けないな

上の荷物入れにも入れないなぁ

下の座席の下は入らんだろう

 

なんておかしく考えてたら急に涙が溢れ出した

 

この膝の上にのってるのは母さんなんだな、と

こんなに小さくなって

 

母さんと飛行機は何回のっただろうか

そういえば俺の家にくるのも初めてだな

ちょっとだけ仕事入ったからついでに俺が勤めてる会社も見せてやろうか

来週はすんげーライブに出るんだよ

 

きいてんのかクソババァ

みてるかクソババァ

 

 

 

 

いや~いくつになっても「初体験」はドキドキするものですね。

 

先日、「サウンドエアー2018」というバンド対抗のコンテストに十手ジャパンとして参加させていただける機会をいただきました。

このコンテストは優勝すると「JOIN ALIVE2018」でオープニングアクトとして出演できるというコンテストでございます。

遠くは東京から、弾き語りの方も含め9組のバンドが初戦で出ハケ込み(準備&撤収込み)20分のステージを行い、ファイナルに3組が進出し優勝を決めるという流れでございます。

参加バンドはポップス、弾き語り、流行りのバンドサウンドが中心でしたでしょうか。

リハが9時から(本戦は12:00~19:00)だったので十手ジャパンの面々はまるで朝野球のように7:00に集合して会場に向かいました。

 

初めてののこういったコンテスト参戦でいろいろと初めて尽くしでとても貴重な時間を過ごすことができました。

まず、

控室から加齢臭がしない。

みなさん、お若い方が多いのでしょうか、いつもライブで利用させていただく控室からの何とも言えない加齢臭が全くしないんです。

そして、

機材持ってきてるのが十手ジャパンだけ。

このコンテスト、初戦は「出ハケ込み(準備&撤収込み)20分のステージ」でファイナル進出をまず目指します。

我々のようにアンプを持ち込むとセッティングだけで10分以上はかかっちゃいます。

さらに、

SE(ステージが始まる前にかける音楽、効果音、演出など)を使用してるのも十手ジャパンだけ。

これも前述の通り、コンテストなので他のバンドは曲演奏に時間を寄せているんですね。

他のバンドさんは2~3曲を演奏したのに対し、十手ジャパンは「機材を持ち込みセッティング&撤収」「演奏前にいつものSE「君が代」斉唱」とした結果、演奏できた曲は1曲だけ。MCやスタッフやの方に「君が代流さなければもう1曲できたのに」と言われましたが、十手ジャパンとしてはコンテストといえど「ライブ」をやりにいったつもりだったんでいつものルーティンは欠かせなかったわけなんです。

 

結果はファイナルには進めず、1回戦敗退でごございました。

※優勝は東京から来たクロニクループというバンドです。おめでとうございます!

ファイナルに進んだバンドのステージを見ても、それは納得の結果でございました。

しかしながらバンド活動に真剣に取り組む若い(若く見える)方々にまじり、バンド単位で競いあう経験というのはとても身になる尊い経験でございました。

 

参加していたバンドさんたちを少しだけ俯瞰で拝見して、

みんな音楽(バンド)で飯を食うことを目指しているのかな~

と、勝手ながらに思ってました。

コンテストのステージで、「勝つために来た!」とか「勝たせてください!」的なMCも拝見しました。

 

すごくうらやましいな

 

良い学校

良い就職

良い結婚

良い老後

 

まるで呪われた呪文のように日本を支配している人生設計の理想とされてるこれらををかなぐり捨て、今の一瞬にかけている彼らを見ていて感じたことは

 

・何に投資するか

・何を投資するか

・投資の目的はなにか

 

この意識が重要だということです。

 

・何に投資するか

→演奏のクオリティを上げるための時間、楽曲のクオリティあげるためのアレンジセンスなど。

 

・何を投資するか

→バンド活動をを継続していくための資金、練習するための時間など。

 

・投資の目的はなにか

→プロを目指すのか?バンド活動の継続を望むのか?レコーディングしたいのか?するのであればその目的は?ツアーををしたいのか?するのであればその目的は?など

 

若さ:加齢

=投資できる時間が多い:少ない

=投資できる資金が少ない:多い

=投資できる人脈が少ない:多い

などなど

 

時間やお金など、年齢とともに責任が増えてくるとバンド活動に投資するのは難しくなってくるんですが、限られた条件下でどのように何を費やすのが一番目的に近づけるかという意識が重要なんだと再認識しました。

 

この日一緒に参加したバンドのみなさまが、10年後も20年後もそれぞれの目的に向かってバンド活動を続けていたら素敵だな。

十手ジャパンは、そんな素敵なバンドの皆さんといつまでも肩を並べてステージに立てるバンドでありたいと思いました。

涙がとまらない理由

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僕の母校、芦別市立緑ヶ丘小学校。

古い校舎は何年も前に古くて危険な建物(ニュアンス間違ってたらごめんなさい)ってこともあって取り壊されて今は半分空き地、半分道営住宅とか。僕にとっての小学校の母校は「いつもあるもの」じゃなくて「もうないもの」。

半分の空き地みたく心がぽっかり空いてる感じ。

 

中学2年生に上がるタイミングで芦別を離れて29年。小学校を卒業してからは30年。

本当に偶然なんだけど、たまたまFacebookでみつけた小学校の時の友達が十手ジャパンのライブに来てくれたことがきっかけで「緑ヶ丘小学校卒業生飲み会」をやることに。

 

30年ぶり。人によっては中学ぶりだから29年ぶり。ニアミスがあってもこうやって大人として再会するのは初めてのこと。

最初は懐かしさで酒が進んで、途中からは想い出をお互いに補完しあって酒が進んで。

忘れてたことや忘れたかったことがお酒をさらに進めて。

 

だいぶお酒が進んでって、最後まで一緒に飲んでくれてた子の一人が泣き出して。

おれも泣き出して。

その子は小4のおわりで突然転校してった子で。家の裏に住んでるから一番一緒に遊んでた子で。

もう一人の一緒に飲みに付き合ってくれていた俺より足が速いずっと芦別に住んでる子は、急に泣き出す酔っ払い二人を見てただの泣き上戸に見えたかもしれないけど、直接的な理由はわからないけど、なんとなく同じ理由の喜怒哀楽に当てはまらない涙が転校してった二人とも止まらなくて。

 

とまらない涙。それは、

 

「大好きな芦別を離れて流さないように頑張ってきた30年分の涙」

 

きっとこれだと思う。

 

もちろん芦別に残ってても流さない、流したくない涙はあっただろうし、その逆で芦別を出てからも、とてもまわりの人に恵まれてたから乗り越えてこれたんだけど、止まらない涙は緑っこ(緑ヶ丘小学校の生徒のこと)じゃなくなってから流したくなかったし流したくもあった涙なのかもしれないし、芦別を出て行ったあと、お互いどんなつらいことや大変なことがあったかは知らないけど、止まらない涙は似てる気がした。だから余計に止まらなくて。

 

何とも言えない涙を流したら、とてもすっきりと今の目の前に立ち向かえられて。

ようやく自分の中の「緑っこ」のピースがそろった感じ。

緑っこのみんなに会えて俺のアイデンティティがようやくそろった感じ。

 

飲みすぎた夜の次の日は小学校1年、2年の時の担任の先生に会うことができて。

先生が大事にとっていてくれた当時の学級通信の綴りをみんなで回し読みして。

昔から自分は調子こいてませたかわいくないガキであることを再確認して、恥ずかしくて、照れくさくて、そんな自分をみんなと共有して。

 

自分で判断してる自分の好きなところとか、嫌いなところとか、小さいころからの恥ずかしいこととか、忘れたいこととか、そういったあまり良くない想い出がすごく尊くて。そしてその思い出を共有できる人がいることはもっと尊くて。

もう流したくない涙を我慢しなくていいんだと思ったら余計に涙がとまらなくて。

 

時期的に花粉アレルギーの人と間違われやすいでしょうね笑

 

ありがとうみんな。

ありがとう緑小。

なくなるときに行けなくてごめんね。

 

また集まって、思い出話を一生し続けるから許して。

 

しばらくこの涙は止まりそうにないな