発達障害の息子が1番苦労していた小学校低学年の時期にしていたブログを、今日久々に見たら、うわぁ頑張ってたなぁと涙が出た。

今や中学一年生。
支援級所属だけど、それなりの配慮や支援は必要だが毎日休まずお友達と学校に通っている。

小学校は1年から5年まで一緒に登校してたけど、母子分離が全く出来ない状況から少しづつ時間とついて行く距離を減らし、ついには本人からもう来なくていいよ!とも言われ、やっと自分の時間が持てるように。
今私はコンビニ勤務で、ちょっと不規則なシフトに入ってるのだが、留守番バッチリ。
不安定になる事もあるけど、薬物療法は順調で、4年生からストラテラとエビリファイの量は増えていない。
薬を増やして安定させるよりも先ずは環境を整えてからという主治医の考えと私の考えが全く同じだから。

だから今の状態に持っていくまで、学校とたくさん話をしたし、進学の時も一緒に中学校と話をさせてもらって息子を理解してもらう環境を作るのに奔走した。

もともと私も人との関わりは下手くそなんだけど、先生もプロではなく人だと思ってこっちがバカになって下手にお願いしたり、協力してくれた所は大袈裟な位なテンションで感謝の気持ちを伝える、そんな事を頑張ってやっていたら、いつの間にか先生からも勉強になりましたとお礼を言われるように。

でもその間に2歳下の妹が今ちょっと不安定。
本人がやりたいと言うので入部した吹奏楽を頑張っているのだが、そこでいろいろと精神的ダメージを受けてしまい、髪の毛を抜いたり爪噛みが酷くなったり。

副顧問が通級の先生でもあったので、通級利用しつつ、音楽はホントに大好きなのでなんとか続けてはいるが、周りの子が正直児童クラブのノリで吹奏楽に入れている子達か、親が熱心過ぎて子供はというと、どこか冷めてる感じとかあまりよい環境ではないので頭が痛い。
最近よい外部講師の方が来られ、若干雰囲気が変わりつつあるので引き続き様子見。

私も吹奏楽保護者役員を来年担当することになり、下の子小学校最後の1年はガッツリハマって見守る事に。

引き続き頑張っていくしかないなぁと思いつつ、ダラダラコタツで思いにふけっているのでした。


最初の顔合わせの際、メモを取らない。

家庭訪問に交流学級の先生よりも遅れてくる

四月末勉強への意欲を下げる

五月末参観日の突然の日程変更をメールでしてくる。

勉強への意欲が低くなり、プレイルームに閉じこもっているような状況のときに、苦手な筆算の宿題をプリント裏表20問出す。

出張や欠勤で時間割が配布されないことがあった。

集団行動が苦手な為支援学級に所属しているのに、支援学級で集団で遊べないと連絡帳に書いてくる。

四年生の課題に入れていない中、夏休みの宿題をどうするのか、7月の初めに聞いていたが、その次の週から長期欠勤し、学校管理職すら連絡が取れない状況に。
10日後いきなり復活。普通学級と同じ宿題を出される。
結局、元支援学級担任提案の問題集を活用しながら進めていくことに。

その10日の間に、今は講師の為、教職員試験を受験していたことが発覚。
私が気付いて学校に連絡。
学校側も把握していなかった。
(通常は口頭でもよいから申請する)

スポーツテストを普通学級で受けられなかったので、支援学級でコツコツと頑張っていたが、結果の配布を促しても忘れ、夏休み最終日にようやく配布。

戦争関連の教科書の話に興味を持って聴いていたというだけで、広島の原爆関連の写真を撮ってきたから見せると伝えてくる。






息子が所属している特別支援学級の事で、早朝から校長先生と面談。
というか、怒りをぶちまけてきた。


四月から支援級経験のない担任になった事で、細かい配慮が必要な息子は理解されず、座学が出来ない状況に。
今まで出来ていた事が出来ず、プレイルームに引きこもる日々が続いた。

私はパニック障害と不安神経症を発症。
一時は家事も子供に関わることも難しくなっていた。


いろんな人が間に入って息子もなんとか机に向かえるようになり、環境の変化にも対応が出来るようになるまで復調。

私も通院し体調も回復。

息子に今までどんな理不尽なことがあったのかを時系列にまとめて話し、これからどう対策を講じてもらえるのか、校長先生に話した。
最終的には謝罪をしてもらったが、対策については納得する回答は得られなかった。

また後日、回答を伺いに行く予定。

息子だけでなく、困り感のある子達の為に、学校としてどう責任を持って対応してもらえるのか、頑張って学校と話をしていこうと思います。