『内界の現実に、めざめる。』という言い方だと、まだ、ある種のあたらしい視点の獲得、ないしは、あたらしい能力の獲得とでもいう感じにきこえるはずだが。
実際には、世界観/人生観が大きく入れ換わる、衝動的な体験だ。「それ」は、ゆっくり進む場合もあれば、きわめて急激な展開をみせる場合もあるのだが、いずれにせよ、あなたは、古い世界を後にして、新しい世界へと、移転する。
わかりやすく言えば。
『他人の創った、他人の現実』から『自分の創った、自分の現実』へと、移転する。
ということに、なるわけだが。
とはいえ、単なる移転、移動、引っ越しなどとは、ずいぶんと様相が、ちがっていて。
控えめに言っても、ここからあそこへ、というヨコ方向の移動ではなく、古い世界を置き去りにして『天へと昇る』かのような、上昇方向への移動。
もうすこし大胆な言い方をすれば、いままで存在していなかった新しい次元/新しい世界が突如、出現し、あなたは、その場所に、あたらしく、生まれる。 それでいて、古い方の世界も、ある意味では、いままでどおりに継続して存在しており、そちらにも、いままでどおり籍を置いたままである、という不可思議さ。
もっと強烈な言い方をすれば、『他人の創った、他人の現実』は、死んだ物体の寄せ集めでできていて、それしか知らないあなたは、よもや、世界が「生きている」などとは、思いもよらない。
それに対して―――。
タロットカードの大アルカナ:前22枚のうち、さいごから2番目のカード『20:ジャッジメント』では、天使がラッパを吹くと、死者たちが、墓からよみがえる、という謎の光景が描かれていて。
ヨハネの黙示録にも、同じような描写が、あるとか、ないとか。
で、キリスト教文化圏には、天使という存在がいて、仏教でいえば、菩薩にあたる。いやいや、阿羅漢に当たる。いやいや、地蔵に当たる。
また、天使には死者をよみがえらせる能力があるが、キリスト教の見解によれば、天使によって復活させてもらえるのは、イエス=キリストを信じる者のみ。
それに対して仏教では、輪廻転生は、あらかじめ保証されており、来世を得られるかどうかと仏教を信じるかどうかは、まったく関係はない―――といった解釈が、どこまでも無意味な大ウソになってしまうのは、どう転んでも、それが『外界の現実』の描写にすぎないからだ。
ほんとうの変化は、『内界で』生じる。
タロットカードの大アルカナに描かれているストーリーは、じつはもっぱら『内界の現実』に関するものだ。
あからさまな言い方をすれば、
『他人の創った、他人の現実』を生きているあなたは、『外界が、内界を、規定している』状態にあり、その状態のままでは、引き寄せの法則を使いこなすことも、望みどおりの現実を創り上げることも不可能だが、それだけでなく。
その状態にいるあなたにとって、
あなたの世界は、死んでおり、そこには墓石しかなく、そこには、死体しか、いない。
だからこそ、すべては物質でできている、などという理論(いわゆる唯物論)が成立するのだし、だからこそ『この世は幻想である』などと聴かされれば、こんどは、「すべては、脳が電気信号を受信してできた」脳内妄想にすぎない、という理解の仕方をする。
―――脳そのものが幻想である可能性については、考えないのだろうか??
『20:ジャッジメント』が描く「死者の復活」とは。
あなたの死後や来世の話ではなく。
もちろん、見ず知らずのキリスト教徒が生き返る、という話でもなく。
じつは、あなたの世界、あなたの生きている現実に関するものだ。
『死んでいた』あなたの世界が、突如として、よみがえる(甦える/黄泉がえる)のだ。
あなたの、めざめと、ともに。
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