『思考は現実化する』などとカンタンに言うが、自分の望みのものに、ひたすら『思考を集中』しつづけて、実際にそれを『現実化させる』には、じつは、かなりの『思考の集中』が必要だ。それも、「いま、ここで、人並外れた集中力を持って、一気に思考を現実化させてしまった」などという例は、かなり稀であり、あえて言えば、「特殊な例外」だ。

 

あくまで、これを書いているわたし個人にとっての実例なので、そこは差し引いて考えてほしいが、わたし自身は、短期間に一気に思考をスパークさせて、現実化させる、というやり方は、まあ、「あまり現実的ではない」と、思っている。それよりも、慢性的に、日常的に、まるで、いつもスマホをいじっている、のと同じように「いつもそれについて考えている」状態をつくり、その状態が「あたりまえ」になったとき、思考内容にあわせて、現実の境遇も同じように変化している。このように「生きている境遇を、ゆっくり変化させる」形で、わたしの場合は、『思考を現実化させて』いる。

 

自信満々に、はっきり言うが、このやりかただと、文字通り『なんでも、叶える』ことができる。---ただし、そのための時間を、文字通り『無制限に、投入できる』ことが条件なのだが。

で、このやりかただと、「感情のブレが加味されない」ことに、気づいてほしい。わたしだって、感情の状態は日々刻刻と変化するが、それによって多少の幅は出るにせよ、大雑把にいえば、『いつも、同じことを、考えている。』

―――思考による現実化を志向するなら、実直にいって、このくらいは、必要なのだ。

 

で。ここまでの長期計画をお望みでない、またはそこまでの余裕がない場合には、思考ではなく『感情による現実化』を、おすすめする。

『引き寄せ』や、それに類する教えのなかには、『思考は現実化する』と教えているものと、『思考は現実化しない。そうではなくて感情こそが現実化する。』と教えているものと両方あって、よく知らなければ混乱してしまうが、『思考による現実化』は、上述のとおり、長期計画で思考を投入するのが望ましく、とくに困っていない、余裕のあるテーマにのみ採用するのが、妥当だ。

それに対して『感情による現実化』は、なによりも、即効性がある。

単純に、不安感を安心感に。圧迫感を開放感に。換えればよいだけなのだから!

 

ただし、それによって「なにが」起こるのかは、あなたの知るところではない。神の思し召し、または、カミサマ・ノ・イウトオリ!!

 

 

読了されたら…

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 引き寄せの法則へ

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

辺境の地の零細ブログにつき…

どくしゃになってね!