電車の中で揺られながら考えていたことを一つ。

最近、「Sなの?」とか、「Mなの?」という質問が当たり前のように展開されているなあ、と実感するのですが、個人的には、少々違和感を感じるというのがあります。

なので、そういう質問を受けた時には、答えるのに窮するというのがあって、恐らく自分の中では良いイメージで捉えていないのだろうと思います。

ま、私の趣味趣向は、横に置いておいて。

こういった質問がまかり通るようになった背景を少し自分なりに分析してみると、相手という人間に対する特徴をSかMかに大別することで、相手を知る手がかりにしているのだろう、と思います。

これは、人間関係というものがどうしても表面的になりがちな風潮にある中、人間に対する感受性が欠落したことで相手を理解できないというジレンマに陥っているのだと思えます。

相手を理解できない、どういう人間であるかレッテルすら貼れない、これでは会話の糸口が掴めない、まずい・・・

そんな中で生まれてきたリーズナブルなアイテムが、「Sなの?Mなの?」というものではないでしょうか?

Sと答えても、Mと答えても、話し的にはおもしろおかしく、展開できるので、ある種、万能な切り口とも言えそうです。

ただ、SもMも極端な状態を表す表現です。

子供時代は、折り合いを付ける、という中道路線が苦手なのは分かりますが、大人になっても極端なモノの捉え方に慣れ親しんでしまうと、人間関係では困難が強いられる可能性があります。

人間は、そもそも多くを占める中道領域のところで折り合いを付けます。

それを、極端な見方で判断しようと思えば、そこに無理が生じ、人間関係で言えば、摩擦が起きたり、行き違いが起きたりします。

こういった見方は、完璧主義の方にも見られる傾向だと思います。

現代の大人世代が子供から成長しきれていないエピソードの一つとして、Sなの、Mなの、を見てきましたが、どう思いますか?



【癒し・ヒーリング】


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