私の前世療法の体験談をお話します。
(光の言葉セラピーが含まれています)

本日、『八ヶ岳セラピールーム』の紀世子さんにスカイプにて体験させて貰いました。


【体験・感想】

今日は、前世療法を初めて受けた。

何も分からずに受けたので要領も分からず、ただただ誘導に身を任せた。

まずは、光のエネルギーを全身に入れていった。
少し、背中や腰あたりがビリビリしてきて、体が感じているのが分かった。

テーマは「微妙に塞ぎ込んでいる」

最初の場面。
前方に山があり、質素な民家もポツンポツンとあった。
自分は、エスキモーの人の格好をしていて、自然を眺めていた。
年齢は、42歳。
性別は、男。
名前は、ヨシ。
酋長らしい人物。
槍を持って立っている。

次は楽しい場面。
村が見える丘に座っていて、清々しい気持ちであった。
年齢は、10歳。
ぼーっと、ただただ眼下に広がる村や自然を眺めていた。

重要な場面。
年齢は30歳。
猛牛に追われている。
角が生えている獰猛な猛牛である。
自分は一生懸命、道無き道を走って逃げているが、結局、牛に捕まる。
牛の足に踏みにじられる自分。
牛は、勝ち誇ったように仁王立ち。
自分は、瀕死の重傷。
仲間が近寄ってくれて、なんとか引き出して助けてくれる。
仲間の肩に担がれて、その場を離れる。

死に際の場面。
洞窟の中で、質素なござの上で寝ている。
ロウソクが一つ灯っている。
白髪の状態で臨終の床にいて、周囲の人達は、涙を流して別れを惜しんでいる。
次に、死を超えて、宙に浮いた状態で、自分を眺める。


前世療法での体験からは色々と情報が得られた。
前世の自分は、槍で自分を守る時代に生きていて、酋長的な存在であったようだ。人々の心を救いたいと思っていたが、最後まで叶わず、その思いを残して亡くなる。
自然との対話を重視し、死を迎えるまで、戦いの連続であった。

今の自分の生き様を見ると、ある意味、戦いの連続である。
そういった意味では、前世の時と類似な生き方をしているようだ。

東京スピリチュアルマーケットに5時間いて、次の日にスピリチュアル交流会に7時間いて、10分のチャネリングを受け、その後、インナーチャイルドセラピーをした後、振り返りにて、微熱がでたのだが、それが、今回の前世療法の体験で、猛牛が出てきたシーンに重なるという事を紀世子さんから教えて頂いた。その比較は以下の通り。

【前世】
1.猛牛に向かい会い、危ない・危険
2.怖い
3.踏みつけられた、やられた
4.勝ち誇っている、やられちゃったなあ
5.仲間に引きずり出されて助けて貰った

【現世】
1.スピマに行き、5時間いる
2.スピリチュアル交流会に7時間いる
3.チャネリングを10分受ける
4.インナーチャイルドセッションの振り返り時に微熱
5.紀世子さんのセラピーを受ける

どうも、私という人間は、根底にある戦い(=情報収集)という意識で行動するところがあるようで、スピマ参加にしても、セミナー参加にしても、戦いを挑む的な気持ちがあったように思う。

大きな対象に対して、戦いを挑み、そして傷つき、ギリギリのところで復帰していく、というパターンに振り回れているのかもしれないとも思う。


今回の前世のヨシという人間から学ぶことは、自然との調和を念頭に置いているということだ。時として、自然を眺め、対話し、そこからの英知を受け取った中で、自分の中でのバランスを取ることをしてきた。

今の自分は、どちらかというと、自然との触れあいを忘れ、自然との距離を無意識にとってしまい、人間本来の潜在的な力を封印してしまっているのかもしれない。紀世子さんには、海や山に行ったら、というアドバイスを受けたが、なるほど、海や山への興味・関心は皆無に近かったことに気づいた。近々に、海や山に行ってみようと思う。

自然への回帰、自然との対話というものを、もう少し、自分の生活の中に当たり前のように受け入れてみたいと思う。そういった自然との交流の中で、また違った自分というものを見た時に、初めて、微熱が起き不調になってしまう意味が分かるのだと思う。

前世のヨシの「人々の心を救いたい」という思いにも真摯に向き合っていきたいと思う。それが、今後の自分の大きな方向性を指し示す道標になるだろうし、自分の存在意義という答えにも繋がる可能性を秘めていると感じる。

今回の前世療法を終えて、今感じることは、現世という狭い枠の中で物事を推し量ろうとするのではなく、前世も含めた自分自身という世界観を知ることが、今を生きることに非常に役立つということである。広角に物事が見られることで、より広い観点での気づき、発見が得られることを、今後の人生の楽しみとしたい。



【癒し・ヒーリング】


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