「社会に適応できない」
この言葉から何を感じますか?
社会に適応できないなんて、人間として失格だ。
社会に適応できていないことは、恥ずかしいことだ。
社会に適応できることが大人な人間だ。
社会に適応できていないならば、努力すべきだ。
社会に適応できないなんて、社会の落ちこぼれだ。
この中の1つでも思ったり、感じたりしたことがあるならば、あなたもノイローゼ予備軍かもしれません。
そもそもこの社会というものが、どのように構築されてきたのでしょうか?
万人に平等であるような社会形成がなされてきたのでしょうか。
多くの人が議論を重ねて、皆が幸福になるような折り合いのポイントで社会形成がなされてきたのでしょうか。
恐らく、否であろうと思われます。
一部の人間の欲望を中心にして、この社会というものは形成され、社会風潮と呼ばれているものも、一部の人間によるコントロールで支配されているようなものです。
ならば、・・・
その一部の人間が形成しているであろう社会に対して、敢えて適応などしなくてもいいのではないでしょうか。
絶対的価値観にない社会に対して、個性のある人間が皆、適応する必要などないはずですよね。
「社会に適応しなくていい」
私は、このように考えます。
ただし、社会に適応しなくていいからと言って、好き勝手していいわけではなく、また、社会の最低限のルールを破っていいわけでもなく、そして、人に迷惑をかけまくる自己中心的な人間になれ、というわけでもありません。
社会の常識と呼ばれているもの、社会における慣習と呼ばれているもの等々に対して、無理に適応しようと努力して、心が病むくらいなら、逆に、「適応しなくていいや」、という気持ちで生活した方が、好ましいのではないですか、という1つの提案です。
もし、社会に対して、完全なまでに適応を果たそうとして生きるならば、その先に見える将来は、恐らく過労死なのではないか、と思います。
そんな過酷な運命を辿るのではなく、己の心の声にまずは耳を傾けること、これが大切であると思います。
世間を見て下さい。
活躍している人って、みんな社会不適応者ですよね?
型破りで、傍若無人で、我が道を行くというスタイル。
決して褒められた生き方ではないかもしれませんが、ルールに囚われない生き方こそ、真の生きるヒントが隠されているのかもしれません。
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