私は、「期待をかける」、という事は、危険をはらむもの、というふうに考えています。

期待をかける側は、期待を過剰にかけてしまうと、思い通りの結果が出なかった場合、かなり落胆してしまいます。

そして、期待をかけられる側は、かけられることで、必要以上にプレッシャーを感じ、自分本来の実力が出しにくい状況に陥る場合もあると思います。

このように、概略的に議論をしてしまうと、「期待をかける」ことは、危険極まりないもので、期待そのものを否定するべきではないか、という極論的な結論になってしまう可能性があります。

ところが、今日、ある本を読んでいて、ちょっと待てよ、と思ったのです。

それは、期待をかける側が、どの対象に期待をかけるか、によって、危険をはらむか否かの違いがでるのではないか、ということです。

対象とは、リアルな相手とバーチャルな相手。
(リアルな相手とバーチャルな相手は同一人物であり、期待をかける側の見方をどちらで見ればいいのか、というのをここでは問題にしています)

リアルな相手に適度に期待をかけるのは、ある意味、健全。逆に、バーチャルな相手に過剰な期待をかけるのは、やはり危険であるな、と感じるわけなんですよね。

「正当な期待のかけ方って、どういったものだろう?」って考えた場合に、リアルに相手を見ることができるならば、という条件が付くのですが、その場合は期待をかけてもいいのではないか、と思います。

リアルに相手を見ることができる人なら、仮に期待を裏切られても、軽度の落胆で済むので、「やはり期待通りにいかなかった。やむなし。」という形で受け止めることができると思うのです。

逆に、バーチャルに相手を見る癖がついている人は、仮に期待を裏切られてしまうと、現実と理想のギャップに驚き、重度の落胆をすることで、落ち込んでしまったりします。

人間というのは、どうしても想像の世界において、期待をかけてしまうもの。

ですから、その期待をどの対象にかければいいのか、そこをキチンと押さえておくことで、不毛な争いの火種を未然に防止することが可能かもしれない、と思うわけです。

期待をかける時には、どの対象に自分は期待をかけているのか、を少し意識すると良いかもしれないですね。



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