※この記事は文字数制限のため元記事を4分割し投稿しています。この記事は3/4です。

 禅宗のように拝む対象をすべて拒否する無神論的な哲学に立つような宗派もあります。禅宗というのは、実は、仏心宗というのが正式な呼び名です。この派には、臨済宗、曹洞宗など広く知られている宗派があります。ひたすら座禅を行うことが特徴です。そして、禅宗の場合、一切の経典を否定し、認めないという特徴があります。ただひたすら座禅を組み、以心伝心の禅で仏心を伝えるという立場をとります。これを、「不立文字教外別伝」といいます。その意味は、経典、教説にはよらず、釈尊以来、師の心から弟子の心へ直接仏法そのものが受け伝えられたのだという立場を意味します。

 日本に曹洞宗を広めた道元は、「焼香、礼拝、念仏、修懺(しゅざん:俗人が過失や罪悪をザンゲするためにお坊さんにお経を読んでもらうこと)、看経(かんきん:お経を読むこと)を用いない」と正法眼蔵弁道話の中ではっきり述べています。ですから、曹洞宗の僧侶の方々が、葬式の時にお経を読んだり、焼香をしたり、死者に拝礼などをしている姿がもし道元に見つかったら、道元はきっと「喝!」といって叱るのではないかと思うのです。

 日本仏教の場合、各宗派それぞれに教えの基盤となる経典が違うわけですから、信じていることの内容も別々であり、拝む対象も違います。ですから、世界的な宗教学の常識から見てみれば、それぞれが別々の宗教ではないかといわれても、しかたがないくらい宗派間の隔たりは大きいのです。これは、江戸時代に徳川幕府がキリシタン皆殺し計画を推進するため、日本人全員を仏教徒にする命令を出したからです。檀家制度によって日本人全員がいずれかの宗派のメンバーとして登録され、仏教徒としてひとくくりにされてしまったからです。

 小池長之博士の「日本宗教ものしり100」という本には次のような文章があります。「寛永一七年(1640)幕府は宗門改めを厳重にし、全国民をどこかの寺の檀家になるよう義務づけた。寺ごとに宗門人別帳を提出させ、疑わしい者に対しては寺側から、「当寺の檀家に相違ない」という寺請け証文を出させた。そして葬式や法事を檀那寺の僧がやることを義務づけ、盆には、檀那寺の僧が檀家まわりをして仏壇や棚経(たなぎょう)のあることを確認させた。」


 高名な僧侶から牧師に転身した人がいる。

「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013s 亀谷凌雲(かめがい りょううん,1888年4月9日-1973年3月16日)は元浄土真宗の住職で、後に牧師になり、日本基督教団富山新庄教会を設立した。

生涯

 富山県新庄町の浄土真宗大谷派正願寺の住職の息子として生まれた。親鸞の直系である蓮如から、18代の末裔である。第四高等学校 (旧制)で、西田幾多郎より、宗教哲学を学ぶ。東京帝国大学では、井上哲次郎と波多野精一から哲学、姉崎正治から宗教学を学ぶ。研究の結論として、仏教を否定することになる。在学中は、真宗大谷派僧侶の近角常観が、東京本郷で主宰していた求道学舎に寄宿する。

 小樽中学教諭になった頃に求道して、金森通倫に出会ったことがきっかけで、入信してメソジスト宣教師より洗礼を受ける。最初は、住職の仕事をしながらキリスト教を信仰していたが、後に家族に打ち明けて、妻や母親になどの大反対をうける。一時は、キリスト教信仰を捨てることも考えたが、正式にキリスト教信者になることを決意する。

 献身して東京神学社で学び、牧師になり、1919年地元に、富山新庄教会を設立する。1951年に自伝として『仏教から基督へ――溢るゝ恩寵の記――』を著す。


神学

 平家物語の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」を引用する。そして、この無常観は仏教専有のものではないとし、伝道者1:2-14、第一ペテロ1:24-25、マタイ24:35を引用する。

 仏教は罪障に悩み、他力の本願を立てた。親鸞は罪責観に徹した。ローマ書を読んで、この罪責観が聖書にあると悟った。ローマ3:10-18、7:18-25。使徒パウロは自分を「罪人のかしら」と呼んでいる。神に対して罪を犯した人類が滅ぼされるべきというのは、必然である。

 仏教の目的は、罪障宿業を断絶することにあり、弥陀による救いを求めていた。救いの宣布者ではなく、救い主ご自身を見たいと願っていた。「それがキリストご自身である」と確信した。救い主として肉体をもって地上に来たり、十字架において罪からの救いを与えてくださり、これを信じる者は、十字架のいさおしによって永遠に罪から解放され、救われて永遠に神の民となる、と信じた。仏教の罪業から断絶され、神に反逆した罪から救われた。「実にキリストによるのほか、この神への大罪よりの救いは他に全くないのだ。十字架による罪よりの永遠の救い!全人類よ、心より悔い改めてとこしえのこの御救いに与かれ!」。さらに復活の希望、聖霊の恵み、教会の活動、天国の富、再臨の待望について語っている。

<ウィキペディアより>


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013t  以下に『仏教からクリスチャンへ』(川口一彦編著)から二人の元僧侶の回心の記録を紹介する。


「仏教よりキリストへ」 大堀善諦 

 わが国は仏教国で、仏教は先祖以来の伝統的宗教として、日本に生まれ育った私たちにとってはなじみ深いものです。

 私は東北のある小都市に生まれ、先祖より浄土教系の門信徒でありました。世間一般の方々が各自の家の宗教をよく知らないのと同様に、私も二〇歳の頃までは、仏教とは何か、わが家の宗派とは何かを、全然知りませんでした。ところが敗戦後、私の心に宗教を求める欲求が起こり、東洋の精神の母体といわれる仏教について研究したいと思い、ついに浄土門の寺院に入門しました。そこで仏教や浄土教学を修め、住職の資格も与えられ、住職が予定されていましたが、なお一層の研究をしたいとの望みから京都で勉強することになりました。
 
 この間、浄土門こそが仏道の実践上、他の宗派に比類のない優れた法門であることを確信しました。仏教の目的は仏になることで、仏の悟りを開くことによって、この世から解脱(げだつ)することは各宗派とも異論はありません。悟りを開く具体的な方法が各宗派で異なっています。これらは仏法の理屈から言えば理論上は可能ですが、それが私たちにとって実際に可能かどうかということが問題です。

 昔から多くの方が熱心に修行をし研究もし、ある少数の高僧たちは悟りを理解し、体得されたことでしょう。しかし一般の凡俗(ぼんぞく)にとっては、なかなか難しく、達することもできず、狭き門です。私自身もこの問題についての理性と本能との戦いは、惨めなものでした。仏教では自我によって起こるいろいろな欲求をすべて煩悩(ぼんのう)といい、理性では成仏は絶対の真理だと思うのですが、いくら打ち消しても殆ど限りなく煩悩は沸き起こってくるのです。その中で私にとって最大の欲求は、永遠の生命への欲求でした。聖書には次のように書いてあります。「神はまた、人の心に永遠の思いを与えられた。」(伝道者3:11)と。

 仏教的な立場から言えば、個人が永遠の生命を欲することは許されず、すべての人が仏となった時、永遠の生命が可能となるのです。私もそれに沿って努力をしてみましたが、血みどろの戦いをくり返すだけでした。

 特に僧職にあった私は、死者の枕元で経をあげ、葬式法事にたずさわるたび、人生の無常を人一倍味わわされ、できれば死ぬことのない自分の生命というものを強く欲求するようになりました。

 しかし、この態度は仏教的立場からすれば、まさに煩悩そのものなのです。ああ人間の終わりはどうして死なのでしょうか。どうして死ぬことのない生命が、人間には与えられなかったのでしょうか。このことについて、解決を仏教に果たし得なかった私は、前より興味を持っていた聖書に、どのように書いてあるかを探したのです。

 ついに聖書の中から、肉体の復活という奇蹟を見出したのです。
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死でも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』彼女(マルタ)はイエスに言った。『はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。』」(ヨハネの福音書11:25~44)

 主イエスとマルタとの会話を読み、イエスは、死んだラザロに対し、「ラザロよ。出てきなさい。」と大声で叫び、ラザロを墓から生き返らせたのです。

 ああ、肉体の復活、なんと言う深い、深い真理でありましょう。さらに、「ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、、私たちは変られるのです。」(第一コリント15:52)ともありました。

 神はすべての人に永遠の生命を与えようとして、ひとり子イエス・キリストを十字架上につけ、この私の身代わりに罪を負わせて裁かれたのでした。私が神に願う前に、神は人間の救いをイエス・キリストの十字架と復活によって開かれたのです。

 なんと素晴らしい救い、良きおとずれでしょう。肉体の復活!永遠の生命の賦与!それは私だけでなく、ありとあらゆる信じる者に与えられるのです。なんと広き神の愛でしょう。こうして私は、多年の懐かしい仏教僧侶の生活をかなぐり捨て、意を決してキリスト者に転向したのでした。次の聖書の言葉も私の心を変えました。

 「わたしは彼らに永遠の命を与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれでも私の手から彼らを奪い去るようなことはありません。」(ヨハネの福音書10:28)

 ここに浅学非才(せんがくひさい)をも省みず、道友会のお勧めにより証しをさせていただきました。このささやかな証しが多くの方々にキリストを知っていただく一文でありますよう、祈りつつ筆を置きます。
「仏僧より牧師へ」 道旗泰誠

 私は大阪の融通念仏宗良法寺の次男として生まれました。6歳で家を出て仏門にはいり、16歳で大学に学び、21歳で住職の資格を得ました。最後の修業である苦行祈祷をしていた時でした。頭の上に灰を盛り、そこに火を入れて香を炊くということと左手に種油を注ぎ、燈心を入れて火を燃やしながらお経をあげるというものでした。熱くて何度も振り落としました。もちろん火傷もしました。この苦行は100日の予定で、ちょうど90日目でした。突然寺男が「大変です。泥棒が入りました。」と知らせに来ました。お金になるものは一切取られてありません。これを見た一番偉い僧正は大変怒り、祭壇に駆け上がると、摩利支天の偶像をにらんで言いました。「お前のような偶像は泥棒の番すらできないのだから、遠島を命ずる!」と足で蹴ったので、偶像はガラガラと祭壇の下へ落ちていきました。そして、「これを川に流せ」と命じました。寺男は恐れながら川に流しにいきました。僧正はその日かぎりで苦行の祈祷をやめ、笑っていました。私は仏の罰があたらないかと注意していました。ところが僧正の身には何も起こりませんでした。それもそのはず、偶像を祭ることは釈迦の教えではありません。偶像は釈迦が死んだあと、ギリシャの神々をまねて造られました。イザヤ44:9に「偶像を造る者はみな、むなしい。かれらの慕うものは何の役にも立たない。・・」と書いてあります。さて僧正はなぜ仏像を足で蹴ったのでしょうか。平安時代に、仏像に供える花はどちら向きにするかという問題が起きました。「仏像は死んだものであり、人間は生き仏であるから、人間の方に向けるのが当然だ」と言うことになりました。仏教の位の高いお坊さんは、仏像は死んだ仏、すなわち偶像だと認めていることになります。こういう仏教の内情がわかりましたが、座禅が好きなのでよく座禅をし、瞑想しました。しかし、禅の根本は、土も木も水も空気も虫も魚も犬も猫も、みな仏になるという考え方なので、私はこれに賛成できませんでした。釈迦の教えは「無我」といって自分を仏とする教えです。仏とは欲望からほどける、解放されるということから来ました。禅を開いて心を静め、罪をほどくのですが、日本では座禅をして悟りを開いて仏になった人は誰もいません。

 日露戦争が終わった翌年、路傍伝道隊に導かれ、キリスト教会で説教を聞きました。その年の秋、アメリカの宣教師に会い、いろいろ質問しました。自分は酒を飲んでいましたが、彼は怒らないで熱心に福音を説いてくれました。そこで新約聖書を手に入れ、寺に持って帰り、最初から最後まで数回読んでみました。次第にキリストの教えにひかれていきました。キリストの愛は無償の愛で、信じる者は神の愛まで引き上げられ、兄弟を愛し、進んで犠牲を惜しまぬ愛に変えられることを悟りました。しかし、寺を出るところまでは至りませんでした。朝晩は鐘をたたいて修業しつつ、一方では自分の部屋で主を賛美し、イエスの聖名によって祈っていました。ついに5月25日、亡き父の命日を迎えるにあたり、「真理は聖書以外にはない。」と、決心して立ち上がりました。ルカの福音書15章の迷える羊は、この私であることがわかりました。羊のように迷い、苦しんでいる私に、十字架の上で血を流し、私の罪の贖いいとなり、私のところまできてくださった神の御子イエス・キリストの愛が分かった時、私は感謝の涙にあふれ、しばらくの間泣き続けました。そして、その中から「ああ、我、救われたり!」と立ち上がったのでした。救われたと同時に、大変好きであった酒をやめることが出来ました。永遠の命が与えられたのですから、死後は地獄に落ちることもなく、栄光のみ国へ召されるのです。その嬉しさは言葉では言い尽くすことが出来ません。「(Ⅰペテロ1:8,9)あなた方はイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、魂の救いを得ているからです。」洗礼を受けたと同時に、寺から出て、神学校に入学しました。そしてその日から伝道したのです。

<引用以上>


 これぞ人生の本物のサクセス・ストーリーである。


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013u 仏教には救いがないことは元僧侶たちが証明してくれた。スティーブ・ジョブズはかつて僧侶になることを目指したというが断念して正解だった。ただしジョブズの葬儀は結婚式同様仏式で行うとのこと。ここで仏式の葬式がどんなものかついでに触れておこう。

 先祖の供養を美徳とする仏教の主要な行事には、葬式とそれに続く種々の供養がある。葬式が終わったあと、七日目、十四日目・・・と四十九日まで、集まりが続く。死者の霊は四十九日まで祝福かさばきかの最終決定が下されず、七日目ごとにさばかれるのだといい、それぞれの日に人を集めて供養する。

 人をもてなすのも供養だと考えるのかもしれないが、この世の人が飲食をするとなぜ死者が恵まれるのか、不思議な話である。案外費用がかかるから、心の中で不平を言いながらも、やめられない人もたくさんいる。人から悪口を言われたくないので仕方なく、しぶしぶやっている人もいる。

 さらにそれぞれの祭りが何を意味するのかということになると、どれほどの人がわかっているだろうか?

●七日目(初七日〔しょなのか〕)・・・この日、死者の生前の悪事の書類審査が行われる。
●十四日目(二七日〔ふたなのか〕)・・・死者は三途の川を渡る。ここでは衣類をはぎとられたりする。
●二十一日目(三七日〔みなのか〕)・・・ここでは猫と蛇がいて、邪淫の有無が調べられて、猫にかみつかれ、蛇に締め上げられたりする。
●二十八日目(四七日〔よなのか〕)・・・ここには秤があって、生前の罪の重さがはかられる。
●三十五日・・・ここでは閻魔大王が鏡を用いてさばく。
●四十二日目(六七日〔むなのか〕)・・・ここでは再び秤と鏡とによって罪が再審査される。
●四十九日・・・ここで死者に対する判決が出る。

 これらの裁判の日に、この世の者たちが供養をすれば、死者の罪は軽くなり、たとい判決後地獄に落ちても、再審査の日にまた供養すれば保釈の可能性があるというのだ(参考:小池長之著『日本宗教ものしり100』)。

 7回の供養で確実に救いがあるというのではない。そして、こうした供養も、ただただ習慣として行われているに過ぎない。四十九日の内容を知れば多くの人は愕然とするに違いない。その他の供養、即ち盆の祭り、彼岸の祭りなども、だいたい四十九日の祭りと同じような意味で行われている。

 仏教の教え(迷信)によれば、スティーブ・ジョブズの七日目(初七日)は過ぎた。その日、死者の生前の悪事の書類審査が行われたとするならば、彼はパスしただろうか? 十四日目(二七日)で彼は三途の川を渡ることになる。


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013v<曹洞宗の葬儀・お葬式 葬儀式との経文の意味>

葬儀式(そうぎしき)

 葬儀は全般をさして言いますが、授戒は葬儀の内容であり、授戒と引導で葬儀が成立しております。葬儀は単にお別れの式というだけではありません。授戒の式が大切です。

 授戒は本来、生前に戒法を受けて仏弟子となる儀式ですが、葬儀の場において亡き人に対しても、菩提寺の住職が導師となり戒法を授け、生前と同じように行われます。


剃髪(ていはつ)

 最初に仏弟子となるために髪を剃る儀式を行います。剃髪は正に頭をそることですが、死者の躰をみだりに触ることは、冒涜とも勘違いされますので、髪の毛は(煩悩の象徴)なので、カミソリを当てる儀式を行います。心の煩悩を取り除くこと、この世の未練を無くすることを意味します。


懺悔(さんげ)

 今まで知らずに犯してきた罪業(つみとが)を悔い改め、身を正し、心身共に浄らかになることです。


洒水(しゃすい)

 み仏の智慧をいただくために、代々の仏さまが受け継いできた浄らかなお水を頂戴します。


十六条戒授与(じゅうろくかいじゅよ)

 次の十六条があります。
・三帰依文(さんきえもん) 仏・法・僧の三宝を信じ自己の命をありのままいただくことです。
・三聚浄戒(さんじゅじょうかい) 悪い事をいたしません、善いことをいたします。進んで人々のために尽くすことを誓います。
・十重禁戒(じゅうじゅうきんかい) 仏弟子としての生き方を十に分けて説いてます。


戒名(かいみょう)

 戒法を授けていただき、仏弟子となった証明のお名前です。


血脈(けつみゃく)

 お釈迦さまの教えを受け嗣いだ祖師方の名前が系図のように記されたもの。導師にまで至り、最後に故人の戒名が記されます。これを授かり、仏の位につきます。


法炬(ほうこ)

 松明のことです。お釈迦さまを荼毘(火葬)に付するとき三度礼拝(らいはい)し、最高の敬意を表して右・左に円相ののち、薪に点火したものです。

引導法語(いんどうほうご)

 「引導香語」とも言います。故人生前の徳を讃えて、み仏の世界に安住するようにとの願いを込めて述べます。


経文 ※読み方と意味を掲載しております。


懺悔文(さんげもん)

我昔所造悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)  我れ昔より造る所の諸々の悪業は

皆由無始貧瞋癡(かいゆうむしとんじんち) 
 皆な無始(いつともしれぬ) 貪り瞋り癡かさ(むさぼりいかりおろかさ)とに由りて

従身口意之所生(じゅうしんくいししょしょう) 身と口と意(こころ)とにより生ずるところなり

一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ) 我れ今 一切を懺悔し奉る(たてまつる)


三帰依文(さんきえもん)

南無帰依仏(なむきえぶつ) み仏は大いなる教えの師なるがゆえに帰依いたします

南無帰依法(なむきえほう) み仏の教えである法は心の良き薬なるがゆえに帰依いたします

南無帰依僧(なむきえそう) み仏の教えに生きる僧は勝れた友なるがゆえに帰依いたします

帰依仏無上尊(きえうつむじょうそん) ならびなき無上のみ仏をよりどころといたします

帰依法離塵尊(きえほうりじんそん) あやまりなき清浄のみ教えを信じます

帰依僧和合尊(きえそうわごうそん) 争いなき和合のみ弟子とともに精進いたします

帰依仏竟(きえぶつきょう) み仏を信じ尽くします

帰依法竟(きえほうきょう) み仏の教えを信じ尽くします

帰依僧竟(きえそうきょう) み仏の教えを行う人を信じ尽くします


三聚浄戒(さんじゅじょうかい)

第一 摂律儀戒(しょうりつぎかい) 一切の悪事は決して行わないことを誓います

第二 摂善法戒(しょうぜんほうかい) 一切の善事を進んで行うことを誓います

第三 摂衆生戒(しょうしゅじょうかい) 全ての人のため社会のために尽くすことを誓います


十重禁戒(じゅうじゅうきんかい)

第一 不殺生戒(ふせつしょうかい) あらゆるものの生命を大切にしなければならない

第二 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みや不正を犯してはならない

第三 不貪淫戒(ふとんいんかい) 道ならざる愛欲を犯してはならない

第四 不妄語戒(ふもうごかい) うそ偽りを言ってはならない

第五  (ふこしゅかい) 酒に溺れてはならない

第六 不説過戒(ふせつかかい) 他人の過ちを言いふらしてはならない

第七 不自讃毀他戒(ふじさんきたかい) 自分の自慢 他人の悪口を言ってはならない

第八 不慳法財戒(ふけんほうざいかい) 物でお心でも与えることを惜しんではならない

第九 不瞋恚戒(ふしんいかい) 激しい怒りに自分を失ってはならない

第十 不謗三宝戒(ふほうさんぼうかい) み仏の教えを疑ってはならない


曹洞宗 大満寺
http://www.daimanji.com/sogi_jukai.php


 曹洞宗の葬式は罪の懺悔の時間のようだ。教え自体必ずしもすべて悪いものではないが、型にはめられるのを嫌ったジョブズにとっては苦痛であろう。彼が生前曹洞宗の葬式がどんなものであるか知ったならおそらく幻滅していたであろう。

 ただ、罪の悔い改め、信仰告白に加え、水が使われるところはキリスト教の救いにも通ずるところがある。


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013w <スティーブ・ジョブズとアップルとニュートン>

 Apple が創業されたときのロゴマークは、ニュートンがリンゴの木に寄りかかって本を読んでいるところをモチーフにした絵(ロン・ウェインのデザイン)であった。「心は永遠に不思議な思考の海を旅する。一人で。」とのキャッチコピーが縁に書かれていた。しかしこれでは堅苦しいと考えたスティーブ・ジョブズは、レジス・マッケンナ社のアートディレクターロブ・ヤノフに新しいロゴマークのデザインを依頼する。ヤノフは、シンプルな林檎の図案の右側に一かじりを加えた。「一かじり」を意味する “a bite” とコンピューターの情報単位の “byte” をかけたのだという。最初はモノクロだったが、ジョブズが、Apple IIのカラー出力を印象づけるため、カラー化を指示し、6色の横縞が追加された。アップルの元取締役、ジャン=ルイ・ガセー氏はレインボーアップルロゴをこう評した。「強い欲望、智慧のシンボル、噛まれているリンゴ、色の順番がバラバラのレインボーカラー。これ以上のロゴは考えられないよね。強い欲望、智慧、望み、無統制。」 無論、それは聖書の禁断の木の実である「善悪の知識の木の実」を意識した発言である。この知恵の樹の実は俗にリンゴのことであるとされるが、旧約聖書にそうした記述は無い。また喉頭隆起のことを英語で「Adam's apple」(アダムのリンゴ)という。これはアダムが知恵の樹の実を喉に詰まらせたとする伝説に由来する。聖書の記述によれば、「その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女(エバ)はその実を取って食べ、いっしょにいた夫(アダム)にも与えたので、夫も食べた」(創世記3:6)。確かにレインボーアップルはまことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかったといえよう。レインボーアップルロゴは22年間使われ、Macフリークから絶大な支持を受け続けた。横縞のないモノクロのロゴも、マニュアル、製品包装などの白黒の印刷物に引き続き使用された。

 ニュートンが死去した年に、ヴォルテールは彼のエッセイ Essay on Epic Poetry (1727)のなかで彼がニュートンの姪に聞いた話として「アイザック・ニュートンは庭仕事をしている際に、リンゴの木からリンゴが落ちるのを見て、彼の重力に関する最初の発想を得た」とする逸話を紹介しているが、これも伝聞のさらに伝聞の形の記述で、内容の真偽の程は明らかではない。

 実際の所「リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を思いついた」というエピソードは、ある意味誤解を招きかねない逸話である。ニュートンが万有引力の法則を思いついたそもそもの動機は、ケプラーの法則である。つまり「物が落ちる」という現象と、太陽系の惑星の運行が、同じ力に由来する事を発見し、その力を「万有引力」と名付けたのが重要なのである。単なる物が落ちる現象、地球上にある物体を地球が引っ張る力としての「重力」であれば、ニュートン以前から既に知られており、「太陽が地球になんらかの『駆動する力』を及ぼしている」とイメージしたのはケプラーであり、その両者を結びつけたのがニュートンの発見であった。

「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013x ニュートンは哲学者であったので、自然学に対する情熱と同じくらいの情熱、あるいはそれ以上の情熱を神学に注いだ。ニュートンの死後残された蔵書1624冊のうち、数学・自然学・天文学関連の本は259冊で16%であるのに対して、神学・哲学関連は518冊で32%である。

 「いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中にはより確かな真理が存する。」(アイザック・ニュートン 1643- 1727 イングランドの自然哲学者、数学者。神学者)

 ニュートンは、腕利きの機械工に、太陽系の小さな模型を作らせた。それは、クランクをまわすと、惑星を表す、いろいろな球体が歯車とベルトの働きで一緒に動くという仕掛けである。彼はそれを書斎のテーブルのそばに置いていた。

 ある日、書斎で読書をしていた時、無神論者である友人の科学者が彼を訪ねてきた。友人はその模型を見て一目でそれを理解した。そしてゆっくりとクランクを回した。数個の天体がそれぞれの起動をさまざまな速さで回転するのを見た彼は、いかにも驚いた様子で「実に見事だ!誰がこしらえたのかね」と尋ねた。

 ニュートンは言った。「誰でもないさ。」「君は僕の質問がわからなかったらしい。僕は、どこの誰がこしらえたのかと尋ねたんだよ。」ニュートンは読んでいた本から顔を上げて言った。「誰が作ったものでもない。突然にいろいろなものが集まって、たまたまこんな形になったんだ。」

 しかし、驚いた友人はやや興奮した口調で言い返した。「人を馬鹿にしないでくれ。誰かが作ったに決まっているじゃないか。これを作った人は天才だよ。いったいどこの誰だ!」 ニュートンは友人の肩に手を置いて言った。

 「この単純なオモチャが設計者も製作者もなく、勝手に出来たと言っても君は信じない。ところが君は、この仕掛けの元になった偉大な宇宙が設計者も、製作者もなく出現したと言う。なぜそんな矛盾した結論になるのか少し説明してくれたまえ。」 ニュートンは、そのようにして友人を神に導いたのである。


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013y
 ニュートンが万有引力の法則を思いついたそもそもの動機は天体の運行法則に関するケプラーの法則であった。ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラー(1571―1630)は、理論的に天体の運動を解明したという点において、天体物理学者の先駆的存在だといえる。彼もまた神学を学んだ熱心なクリスチャンでニュートン同様、数学者、自然哲学者といった多彩な顔を持つ。

 実はケプラーはあのイタリアのの物理学者、天文学者、哲学者ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)とはスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツのような友人関係にあったという。実はスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの2人がどのように自分たちの会社を始めて今日に至ったのかを描く『パイレーツ・オブ・シリコンバレー』という映画がある。ケプラーとガリレオは、お互いに手紙をやり取りし、それぞれの成果を共有しつつ、切磋琢磨する良きライバルであった。ただ、ガリレオが、イタリアに居た為、カトリックの制約を受けていたのに比べ、ケプラーは、ドイツで、プロテスタントの信者でもあり、自説を展開する自由度は、格段に違っていた。ガリレオが、カトリック教会から、地動説を広めるような活動を禁止されていながら、「天文対話」を出版したのも、ケプラーの主張に刺激されると共に、このままでは、自国の発展が、大きく遅れる事を憂えていたのではとも思われる。ガリレオはキリスト教の教義そのものを補強する立場で宇宙の真理を追究していた。彼はこう言っている。「教会に行くとわれわれの目の前に大きな『聖書』が開かれてあるのと同じように、宇宙という書物もわれわれの目の前に開かれている・・・宇宙という書物も、われわれの目の前に開かれているが、数学の言葉で書かれているために、まず数学を勉強して、数学の言葉で読むのでなければこの書物は正しく読むことはできない。」
 さて、ケプラーは、貧しい家庭に生まれ、尚且つ、病弱であった。しかし、当時のドイツには、すでに奨学金の制度もあり、知的に優秀であったケプラーは、チュービンゲン大学に入学することができた。そこで、メストリン教授から、コペルニクスの「天球の回転について」(1543年出版)を紹介され、この説の素晴らしさに魅了されたケプラーは、地動説の証明に生涯を捧げていく。コペルニクスの地動説は、画期的ではあったが、当時の天動説は、地球を回りながら、惑星が円運動を描く事によって、天体の惑星の運行(惑星の逆行、満ち欠けなど)も、正確に予測出来ていた。一方の地動説は、精度において、天動説の足もとにも及ばなかった。ただ、ケプラーの思いは、神の創造の宇宙が、それぞれの惑星が複雑な円運動をするような不規則な物であるはずが無いと考えていた。「太陽の周りを惑星が回る方が、単純で、神の創造に相応しい」。そして、神は、この宇宙を規則正しい数学によって運行させていると信じ、その法則の発見に没頭した。そして、遂に、ユークリッドの「幾何学原理」の立体論の正多面体を使って、惑星の運行をぴったり納めたのだ。この驚くべき秩序を見出した時、ケプラーは恩師のメストリン教授に次のような手紙を送っている。

 「私はこれを発表しようと思います。自然と言う書物の中において認められることを望み給う神の栄光のために・・・。私は神学者になるつもりでした。私の心は長い間落ち着きませんでした。しかし今こそ、天文学においても、神に栄光を帰すことができたのです。」

 この考えから始めて、ケプラーは有名な三法則を発表する。

第一法則 (楕円軌道の法則)
 惑星は、太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動く。

第二法則 (面積速度一定の法則)
 惑星と太陽を結ぶ線分が単位時間に描く面積は、一定である。

第三法則 (調和の法則)
 惑星の公転周期の二乗は、軌道の長半径の三乗に比例する。

 ケプラーは、太陽、惑星間にも何らかの力(万有引力)が相互に働いていると考えていた。それによって、中天に惑星が浮かぶように運行すると。しかし、それを発見し論理的に証明する事は出来ず、58年の生涯を終えた。
 
 現在において、ガリレオやニュートンのような人物はいずれ現れたであろうが、惑星の運動に関する、三つの法則を導く事は、ケプラー以外には発見出来なかったのではないかと言われるほどに評価されている。


 一方、「リンゴが木から落ちるのを見て万有引力を思いついた」というエピソードを伝えたヴォルテール(1694―1778)は、啓蒙主義を代表するフランスの多才な哲学者、作家。しかし彼は無神論者であった。

 彼は、生前、こんなことを言った。『もう100年もたてば、聖書は世の中に1冊も見られなくなってしまい、博物館だけでしか見られなくなるだろう。』

 ところがヴォルテールの予言した100年は、とうの昔に過ぎた。無神論者ヴォルテールは苦しみながら死んだ。しかし、今なお聖書は存在する。それのみか、ヴォルテールの家は現在、万国聖書会社の倉庫として用いられ、上から下まで聖書でいっぱいになっている。

 また、彼が死んで25年もたたないうちに、聖書を全世界に送り出す聖書協会が設立された。ヴォルテールの不敬虔な書物を印刷した会社が、その時以来、聖書を印刷するために使われている。

 100年以上たった今日では、ヴォルテールの著書は大きな図書館でしか見ることができない。一方では毎年、全世界で約17,500,000の聖書と、聖書の分冊が売られている。聖書は現在、約1,500か国語に翻訳され、世界中の人々に愛読されている。 


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013z
聖書にまさるロングベストセラーはないが、新渡戸稲造が書いた『武士道』は特に欧米人を魅了した。実はスティーブ・ジョブズは武士道の精神で生きたと考える人たちがいる。

 ※新渡戸稲造(にとべ いなぞう、1862年9月1日(文久2年8月8日) - 1933年(昭和8年)10月15日)は農学者で、内村鑑三と並ぶクリスチャンの教育者、倫理哲学者。国際連盟事務次長も務め、著書 Bushido: The Soul of Japan(『武士道』)は、流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。

 『Bushido: The Soul of Japan』(『武士道』)は、1900年(明治33年)にアメリカ合衆国で刊行された。やがて各国語に訳されベストセラーとなった。本書はセオドア・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディ大統領など政治家のほか、発明王トーマス・エジソン、牧師の子どもでボーイスカウト創立者のロバート・ベーデン・パウエルなど、多くの海外の読者を得た。

 台湾の元総統・李登輝(り・とうき)が、『「武士道」解題』(小学館)という本を出版した。李登輝は、かつて台湾の総統だった12年間に、台湾を力強い国家に育て上げた政治家である。李登輝は熱心なクリスチャンとして知られる。そのクリスチャンがなぜ、いま「武士道」なのか。李登輝は「あの疾風怒濤の12年間の総統時代、私を支えたものは何であったか、それはキリストへの信仰と、武士道だった」と告白している。中国の脅迫にも負けず、反対派の脅しにも屈せず、信念を貫き通して教育改革、政治改革、経済改革など、様々な改革を次々に実現できたのは、武士道によって培われたものがあったからだと言う。李登輝は22歳のときまで日本人であった。頭の中では今でも、いつも日本語でものを考えているという。彼はかつて日本の本を読みふけり、武士道を学んだ。そして、1961年にクリスチャンになっている。李登輝は新渡戸と同じく農学者で拓殖大学名誉博士でもある。


 『武士道』執筆の動機は、外国人の友人からの「宗教教育がないのにどうして道徳教育ができるのか」という問いかけにあった。総じていえば、武士道は儒教・仏教の長所だけを継承していながらも、義を中心にして勇・仁・礼・誠と名誉を深く重んじるのはむしろ騎士道とも共通するところで、そこにはキリスト教のよさやバークレーやフィヒテの理想主義にも通じるものがあると言い、ただし武士道にはキリスト教の大きな「愛」が欠けているかもしれないので、そこで武士道とキリスト教が包摂しあえば、もっとすばらしいものになるのではないかという論旨になっている。

 以下に『武士道』(新渡戸稲造著 奈良本辰也訳・解説)から一部抜粋する。

武士道の源をさぐる

仏教と神道が武士道に与えたもの

 まず仏教からはじめよう。仏教は武士道に、運命に対する安らかな信頼の感覚、不可避なものへの静かな服従、危険や災難を目前にしたときの禁欲的な平静さ、生への侮辱、死への親近感などをもたらした。

 ある一流の剣術の師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の技の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ」といった。

 禅とはジャーナDhyānaを日本語に音訳したものである。

 禅は「沈思黙考により、言語表現の範囲をこえた思考の領域へ到達しようとする人間の探求心を意味する」のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、でき得れば「絶対」そのものを悟り、そしてこの「絶対」と、おのれ自身を調和させることである。

 このように定義するとすれば、禅の教えるところは、もはや一派の教義以上のものである。この「絶対」を認識しえた者は誰でも世俗的な事柄から自己を脱落させ「あらたなる『天』とあらたなる『地』」を自覚するのである。 武士道には確かに禅の影響が見られる。柳生新陰流の柳生宗矩が大切にした「剣禅一如」(けんぜんいちにょ)という言葉は、無敵の剣豪「宮本武蔵」が書いた五輪書(ごりんのしょ)にも使われている。そこにはまさしく禅の奥義が書かれている。

 新渡戸が定義した禅の究極の目標は「絶対」を悟り、「絶対」と調和することだといわれている。禅はそれを座禅と黙想によって求めるが自力本願では無理である。「絶対」とは結局のところ天地万物を創造された創造主を指す。人間に作られたもの何一つ絶対ではない。聖書には禅の目指すところを以下のように表現している。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17:3)。その永遠のいのちは自力本願ではなく、神力本願に得られるものである。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) また、新渡戸は絶対者である神を認識したものは「新天新地」を自覚するといったが、このことについても聖書に書かれている。「しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(Ⅱペテロ3:10-13)


「MGF牧仕のキリストバカ一代」補完ブログ-111013za 親日家のスティーブ・ジョブズが新渡戸の『武士道』を読んだかどうかはわからないが、同じく親日家の発明王トーマス・エジソン(1847-1931)は『武士道』の熱狂的な愛読者の一人であった。彼は『武士道』を3冊も持ち、「私は『武士道』精神を発明にあてはめた」と言っている。スティーブ・ジョブズは自身エジソンから多大な影響を受けていることを明かしている。

 「スティーブ・ジョブズはトーマス・エジソン以来の発明家だった。彼は私たちの指先に世界を置いてくれた。」(スティーヴン・スピルバーグ 映画監督)

 「今夜、アメリカは、エジソンやアインシュタインと並んで記憶される天才を失った。」(マイケル・ブルームバーグ ニューヨーク市長)

 「ジョブズ氏は現代のトーマス・エジソンであった。」(リック・ウォレン サドルバック教会牧師)

 1931年10月18日、「私は私の人生を生きた。そして私のできる最善のことを成し遂げた」と言葉を残し84歳の生涯を閉じる。エジソンの葬儀の後1分間は、彼を惜しみ全米中の照明が消されたという。青年期にエジソン研究所で働いた自動車王のヘンリー・フォードはエジソンの生涯の友人であった。その彼がこう言っている。「アメリカが今世界の繁栄の頂点にあるのはエジソンのような人物を得たからである。エジソンの発明は幾百万の新たな仕事を生み出した。エジソンの貢献は全ての社会変革者、政治家の尽力を上回る。」

 Googleとサムスン、スティーブ・ジョブズの死去を受けてそれぞれの最新機種「Android 4.0」と「Galaxy Nexus」の発表を延期した。その程度のことである。やはりエジソンとは比べ物にはならないようだ。



前へ     3    次へ