1、
2、
1、
2、
1、
2、
3、
と、こんな感じだった。
勿論、五段階評価で5が良いほうだ。テストの点数で言うと、30点は当たり前、よくて60点くらい。
これでも僕はなぜか、堂々と生きていた。
確か、音楽と体育は、もう少し良かったかもしれないが、もう覚えていない。
そんな僕が、2年の2学期に勉強に力を入れ始めた。
それは友達の影響だ。タケツとタケジ、高文という同級生がいて、よく一緒に遊んだ。
でもその友達は勉強がよく出来て、タケツとタケジは後に、洛南高校に進学したほどだ。
一人は洛南のいいほうのクラスへ。
その友達たちと遊び出してから、勉強も一緒にするようになった。
クイズ形式で問題を出し合ったり、ノートを見せ合ったりした。
するとテストの点数も上がりだし、それが楽しくて爽快で、よく夜明けまで勉強をした。
ハイヤング京都や、オールナイトニッポンを聴きながら。
勉強のやり方を知らない僕は、教科書を丸暗記した。英語でも国語でも社会でも。
その時の英語の教科書なんて、未だに忘れない文章たちがある。
そしてアホだった僕が、平均点も90点を越えた。
僕にとっては、奇跡の点数だ。
アホが急に点数を取り出したから、先生はテストの時に僕を注視するようになったし、
同級生の典彦なんかは、僕を呼び出して、
『あおや、どうやってカンニングしたん?!』
と聞いてきたくらいだ。
確かに僕は盗み得たのかもしれない。友達から教わった勉強のやり方と熱意を。
そのおかげで僕は、なんとか城陽高校に入れたけど、受験のとき中学三年の担任は、
あおやは公立一本だけでは危ないし、内申も悪いから大谷高校も受けろ、と言われて滑り止めで大谷も受けた。
当時の大谷はまだ、簡単なほうたったのだ。
でも今、想うと、その友達がいなかったら、僕は高校には行けていなかったと思う。
そう想うと、タケツやタケジ、高文に改めて感謝したい。
ありがとう。
一緒に勉強してくれて。
そして、一緒に遊んでくれて。
城陽高校中退 嵐山あおや