見事に落ちた訳だが、当時、僕は歌手になりたくて仕方なかった。
CBSソニーや、ワーナーパイオニアにも、歌の録音テープを送りつけて、
何の返事もなかったのを覚えている。
確か録音した曲は、チェッカーズの『ジュリアにハートブレイク』や、
吉川晃司の『サヨナラは8月のララバイ』、それに、近藤真彦の『ケジメなさい』だった。
今思うと、僕がケジメなさい、だ。
まだガラスの10代だった僕は、その夢を捨てきれず、今度は寄せ集めのバンドを組んだ。
『クラウディ』という妙な名前のバンドで、氷室京介のボーイのコピーをした。
大した事はなかった。
そして僕は、血迷ったのか、30歳の時に、またオーディションを受ける。
カラオケの会社、ユーカラのオーディションで、宇治市の会場だった。
その時、30名くらいの応募者がいて、僕はトップバッターで、
ミスターチルドレンの『トッモローネバーノーズ』を歌った。
そのオーディションを受ける前、当時勤めていた会社の社長に、
『オーディションを受けますが、受かったら歌手になるので、その時は会社を辞めます。』
と言ったが、社長は鼻で笑って、『行ってこい!』と言った。
果たして、、、
そのオーディションが終わり、審査員から僕は激烈な言葉を浴びせられる。
アホの審査員は言う。
『1番に歌ったあなた、本当に歌手を目指してるの?歌はともかく、30歳でオーディションて!
しかも1番高年齢だし。それに全身真っ黒なスーツて、なんか学生服みたいでセンスないよ!』
僕は思った。
『歌はともかく、って、これ歌のオーディションちゃうの?なんで年齢と、
僕のお気に入りの服をけなされなあかんねん?金返してー!』
これは思っただけで、口には出さず、爽やかに『はい!』と言って退散した。
結果を社長に報告すると、また鼻で笑いやがった。
僕は社長に言ってやった。
『これからもお世話になります!』と。
そして、最後にもう一つ。
僕は38歳の時、なぜかモノマネオーディションに応募する。
フジテレビの番組で、アヤパンなどが司会をやっていた有名なモノマネ番組だ。
電話をかけてモノマネを録音するのだが、僕は浜田省吾と松山千春、吉川晃司、安全地帯、
それにチェッカーズのフミヤと、谷村新司のモノマネを、電話越しに歌った。
番組への参加合格者は後日、連絡するというものだったが、何の連絡もなかった。
イタズラ電話が1回あった。
そして、それ以来ぼくは、友人とカラオケに行って、たまにモノマネをして喜ばれる、
どこにでもいる、ただのオッサンになり下った。
僕のモノマネが聴きたいあなた、ぜひ一度、遊びに来てね♫
最後まで読んでくれてありがとう!
どうか良い日に☆
嵐山あおや