今村健一郎(愛知教育大学 哲学教員)のブログ

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 7月3日に、日本記者クラブで、東大先端研の児玉龍彦先生と村上財団の村上世彰氏による会見があった。その会見の動画はYouTubeで視聴できる( https://www.youtube.com/watch?v=8qW7rkFsvvM )。児玉先生は、コロナの感染状況の実態把握や重症化判定への有用性を明らかにするプロジェクトを率いており、そのプロジェクトを村上氏が資金面で支援している。お二人ともこのプロジェクトをつうじて大変なご活躍をされており、敬意を表したい。会見はこのプロジェクトの活動に関する説明を主な内容とするものであった。

 

 この会見における児玉先生の話は、それ自体明快ではあるものの、免疫や公衆衛生をはじめとする医学・生理学的知識を前提とする内容であったため、それらの知識に乏しい私には理解が行き届かないところが数々あった。それでも多くのことを学びえたように思う。とりわけ、免疫のメカニズムの複雑さについては、それを再認識させられた。交叉免疫に関する説明では、病原体とそれに対する免疫は1対1の単純な関係ではないということを、そして、抗体依存性感染増強現象に関する説明では、ワクチンによって体内に抗体が備わればそれで未来永劫大丈夫というわけでは決してないことを知った。「数年内にワクチンが開発されるだろう、そうすれば救われる」という簡単な話ではないようだ(ちなみに、児玉先生が言及していたように、SARSのワクチンは17年経過した現在においても完成を見ていない)。また、コロナの感染のメカニズムをさらに明らかにするには、今後、無症状感染者について相当数調べる必要があるとのことであった。感染の実態の解明にはまだやるべきことが数多くあるようだ。道はまだ遠くそして険しい。各国が大苦戦しているのも、むべなるかなである。

 

 話は変わるが、先の緊急事態宣言の下での国民全体による自粛(=生活制限)によって、コロナの新規感染者数は劇的に低減していった。全国民による自粛はたしかに有効であった。感染は終息へと向かうかに見えた。しかし、このところ、首都圏では新規感染者数が再び増加している。予想されていた「第二波」の到来と言うべきなのかもしれない。しかし、国内の他の都市では同様の再増加は認められない。このことから、次のようには考えられないであろうか。すなわち、先の自粛は、首都圏以外の都市ではおおむね有効であったが、首都圏ほどの規模の都市に対しては有効ではなかった(あるいは、その有効性は限定的でしかなかった)、と。首都圏=東京は今回のような「自粛」という方法によって感染拡大を鎮静化させるには大きすぎるのではないだろうか。「東京は大きすぎるし過密である、だから首都機能を移転せよ」という意見は昔からあったが、それとは別に、感染症対策というただ一点から見ても、東京はおそらく大きすぎる。自粛という手段はたしかに有効であった。しかし自粛は市民生活に多大な犠牲を強いるため、その実行可能な期間や範囲は限られている。東京はその実行可能な自粛が有効性を発揮しうる規模を超えている(おそらく、はるかに超えている)。感染症対策という観点からすると、東京はあまりに大きすぎるのだ。

 

 では、どうすればいいのか。先の自粛を超える期間と規模での自粛を東京の市民に再度課すべきなのか。私見だが、そのような強化された再自粛に、市民はもはや耐ええないであろう。そして東京は、言うまでもないことだが、日本最大の経済圏であり、日本経済のエンジンである。日本の国家社会の中枢部である東京の機能を長期間停止ないし鎮静化することの弊害は日本全体に及ぶ。

 

 ワクチンや特効薬が数年内に完成して、それらがわれわれをコロナ禍から救ってくれるという甘い見通しは当面脇に置いた方がよさそうだ。なにしろ、17年前に流行したSARSのワクチンですら未完成なのだから。また、先に述べた「強化された自粛」も市民の忍耐を越えている。すると、何が現実的な選択になるのか。これも全くの私見だが、すでに先の自粛で疲弊している市民が耐えうる程度の再自粛(その強度は、それゆえ、先の自粛より弱いものになると予想する)、これこそが(おそらく唯一の)現実的な選択であろう。一方に人命と健康の保全と医療崩壊の回避、そして、他方に経済活動の維持。これら二つはトレードオフの関係にある。経済活動を犠牲にすると失業率が上昇するのは確実である。そして失業率の増加は自殺者の増加原因となる。だから、このトレードオフを「命かカネか」と考えるのは正しくない。どちらの側にも命が関わっている(この点については、村上氏も会見の中で言及していた)。ここで政治家は困難で厳しい選択と決定を迫られることになるだろう。

 

 大きすぎる東京をどうするか。かねて問題視されてきた首都圏の機能移転の問題を先送りにしたツケが回ってきた。関東大震災以来の問題に日本は向き合ってこなかった。もし将来、日本がこのコロナ禍をなんとか克服したならば、次はできるだけ速やかに首都機能移転を実行に移すべきではないだろうか。その場合、移転先として東北を提案したい。東北の人口はすでに1000万を割っている。首都機能の相当部分を東北のどこかに移転し、それによって現在の「大きすぎる東京」のリスクの低減を図り、それと共に、東北地方の国土有効活用と経済活性化を図るべきではないか。もしこの移転が実現すれば、東北の完全なる復興という課題もまた解決を見るであろう。