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今村健一郎(愛知教育大学 哲学教員)のブログ

ブログなんてただの暇つぶしだと思うの

映画の誕生でみえてきたもの

 

平成30年2月10日  於 刈谷日劇

今村健一郎(愛知教育大学)

 

1.はじめに

 何であれ、ある対象について、それが「何であるか」を知ろうとするとき、その対象の歴史を調べるのは、だいたいいつも、有効な方法です(哲学では、ときにこれを「歴史的手法」と呼んだりします)。だからこそ、どのような学問分野においても、その対象領域の歴史的研究が存在するのですし(経済学における経済史や経済学史、政治学における政治史や政治思想史など)、あるいは、雇用者はこれから雇おうとする人を知るために履歴書の提出を求めたりするわけです。

 であるならば、映画に関しても、それが何であるかを知る上で、歴史的探究が大いに有効であると期待することができます。実際、映画の歴史的研究は、かねてより広く行われています。私は映画論や映画史の専門家ではなく、単なる映画ファンにすぎないのですが、それでも「映画とは何か」という問題には、映画ファンとして大いに興味があります。そこで、映画とは何かを知る手がかりとして、今日は映画の黎明期に目を向けて、そのごくごく一端についてお話させていただき、皆様に少し話題提供ができたらと思っております。

 

2.映画の父リュミエール兄弟

 動く写真としての映画の発明の功績は、フランスのルイ・ル・プランス(Louis Aimé Augustin Le Prince, 1841–90) に帰せられます。1889年のことだそうです。映画の発明者として、かのトマス・エジソン(Thomas Alva Edison, 1847–1931) の名がしばしば挙げられますが、その発明は1891年であり、ル・プランスの方が2年ほど先行しています。それにもかかわらず、映画の発明者として、ル・プランスではなくエジソンの名が挙げられるのには、ル・プランスが1890年に失踪してしまったことが影響しているようです。

 しかし、ル・プランスやエジソンが発明したのは、ひとりの人が大きな箱を上から覗き込んで動画を楽しむ器械(キネトスコープ)であって、動画をスクリーンに投影する器械(シネマトグラフ)ではありません。シネマトグラフこそが、今日のわれわれが言う「映画」であり、その発明は、フランスのリュミエール兄弟(Auguste[1862-1954] and Louis[1864-1958] Lumière) によって成し遂げられました。彼らによる世界初の映画『工場の出口』(1895年) は、とても有名ですし、ネット上でも観ることができるので、ご存知の方が多いと思います。映画の父(父が二人いる!)の名がLumière(光)であるというのは、天地創造における「光あれ」という神の言葉を連想させる面白いエピソードだと思います。また、以上の事実から、フランスこそが映画の祖国であるということを、われわれは認めるべきでしょう(ティエリー・フレモー監督『リュミエール!』[2017年] を刈谷日劇で上演することはできませんか?)。

 

3.人びとは映画の何に驚いたのか

 かくして映画は、19世紀末に、建築・絵画・彫刻・音楽・舞踏・文学に続く第7の新しい芸術としてフランスで誕生しました。当時の映画は、工場の出入口から人びとが出てくる様子や、駅に列車が到着した様子を映したものでした(工場や鉄道など当時の最新設備が題材に選ばれているというのは興味深いことです)。しかし、「フランスにおける世界最初の映画興行で、動く映像をまのあたりにした観客たちがなによりも驚いたのは、背景で風に揺れる葉叢だった」そうです(三浦哲哉『映画とは何か』筑摩選書、9頁―この講演の次節第4節の内容は、三浦氏のこの著書を参考にしています)。人や列車などの主題だけでなく、その背景にすぎない草木までもが、ちゃんと風にそよぎ、動いている!それは現代のわれわれにとっては、当然のことであって、もはや何ら驚きではないのですが、当時の人にとっては大きな驚きだったのです(これは「生まれたての赤ちゃんにもちゃんと小指に爪がある!」という当然の事実に対する驚きに似ていると思いませんか?)。しかし、こういう細部(ディテール)に対する驚きは、今日の映画においても、依然として重要でしょう(「神は細部に宿る」という格言もあります)。たとえば、『ターミネーター2』では、液体金属でできたT-1000が鉄格子をすり抜けるときに、手に持っていた拳銃だけは鉄格子に引っかかってしまうというシーンがありましたが、そういう一見どうでもいいような細部こそが、観客の驚きを喚起し(このシーンでは観客の反応は笑いでしたが)、映画にリアリティや完成度を付与するものです。

 

4.驚きから常態へ―映画による「見ること」の変容

 このように、新しいものは常に驚きをもって人びとに迎えられるものです。しかし、映画における驚きは、何よりもまず、われわれの身体的な制約ゆえにこれまで見ることのできなかったものが、映画によって見ることができるようになったということにあるのではないでしょうか。

 われわれの視力には一定の限界があります。そして、われわれの身体―視覚器官である目も、もちろんその一部です―には、その特性に由来するさまざまな制約があり、生活可能な領域も限られています。だから、あまりに小さな対象は見分けられないし、あるいは、見えません。あまりに大きい対象も、一度に見渡すことができません。そして、われわれが生身では見に行くことができない場所もたくさんあります。これらは、一言で言えば、「見ること」に関するわれわれの空間的な限界です。しかし、たとえば、小さな対象に関しては、レンズによって対象の像を拡大させることができますし、われわれの生活領域ではない水中の様子については、水中カメラを用いることで、その像を得ることができます。撮影技術の開発によって、これら空間的限界を超えることが可能になるのです。撮影技術の助けを借りることで、これまで見ることができなかった水中の小さな生物たちの生態を、あたかも自分自身もまた水中の小動物になったかのように、つぶさに見ることが可能になるのです。

 ジャン・パンルヴェ(Jean Painlevé, 1902-1989) は、彼もまたフランス人なのですが、科学映画を数多く制作した人物で、映画の黎明期を語る上で外せない人物です。水中生物(タツノオトシゴやミジンコなど)の生態を撮影した彼の作品は、とりわけ有名です。たとえ一掬いの海水といえども、その中には、せわしなく動き回る微生物たちが織り成すひとつの世界が確かに存在していて、空間的限界から解放されることで、われわれはその世界を垣間見ることができる。パンルヴェは、その最新の撮影技術によって、未知の異世界の存在を開示し、人びとは驚きをもってその世界を垣間見たのです。

 さて、われわれにおいて、「見ること」は空間的に限界づけられているだけでなく、時間的にも限界づけられています。あまりに速い動きはわれわれの目には留まらず、また、あまりに遅い動きは、もはや動きとして見えません。しかし、映画はこの時間的限界をも容易に飛び越えて、「見ること」の新たな領域へとわれわれを連れて行ってくれます。たとえば、スローモーション撮影によって、これまで見えなかった速い運動―鳥や虫の羽ばたきなど―が見えるようになり、クイックモーション撮影によって、これまで見えなかった遅い運動―植物の生長など―が見えるようになるのです。

 植物のクイックモーション撮影は、生長や開花などの植物の運動を可視化することによって、植物もまた動物と同じ生き物なのだということを、われわれにありありと見させてくれます。別の言い方をするならば、動きに関して、動物と植物の違いを相対化させ、その違いが、対象それ自体だけでなく、対象を見るわれわれ自身―われわれの視覚が時間的に限界づけられていること―にも由来するのだということを悟らせてくれるのです。この違いの相対化は、スローモーション撮影によって、動物の運動の速度を植物のレベルにまで落としてやることによっても、同じく可能です。そして、そのようにして運動の速度を遅くしてやると、ついにはほとんど停止の状態へと至ることになるでしょう。そうなると、動物と植物の違い・境界を超えて、生物と無生物の、あるいは、生と死の境界までもが不確かになってきます。ふだんのわれわれにとって截然としていたはずの動物と植物の境界あるいは生物と無生物の境界が、視覚から時間的な制約を取り除くことによって、不確かなものとなるのです。

 このように、映画において、視覚はわれわれの身体的制約、空間的・時間的制約から解放されるようになり、それは映画の黎明期においては、驚くべき経験として受けとめられました。しかしながら、そのような新たに獲得された視覚の無制約性ないし融通無碍な性格は、いまや映画においては、視覚における常態へと転じているように思われます。映画において「見ること」が身体的制約から遊離していることは、もはや驚きではなく、むしろ常態であると言ってよいのではないでしょうか。だからこそ、身体的制約の下にある本来の視覚が、「主観ショット」ないし「視点ショット」(Point Of View Shot)と称され、観客にある効果を与えるひとつの撮影技法として用いられるようにもなるのです(たとえば、主観ショットを用いて撮影された『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999) がわれわれ観客にどのような効果を与えたかを思い出してみて下さい)。

 「見ること」とは、本来、身体を備えたわれわれが、身体の一部である目で見ることなのですが、しかしながら、映画における「見ること」は、いまやその身体による制約から遊離している。身体の作用であるはずの「見ること」が、その身体から遊離して、それだけで成立している。この逆説的で倒錯した視覚のあり方こそが、いまや映画における視覚の常態なのです。それに呼応して、身体的制約の下にある本来の視覚の方は、ひとつの特殊な視覚の形態へと、あるいは、ある特殊な効果を与えるひとつの撮影技法へと転じることになる。このような「見ること」の変容は、同じ視覚芸術である絵画においては生じておらず、この変容はあくまでも、映画という芸術に固有の現象であるように私には思われます。

 

5.視覚の観念化、ヴァーチュアル・リアリティへ

 「見る」という作用がこのように身体を備えた主体から遊離し、いわばひとり立ちすることは、「見ること」がひとつの思考のモードへと変容すること、別の言葉では、「見ること」の観念化とも言えるのではないでしょうか。この視覚の観念化は、さらに観念の視覚化と言い換えることもできるでしょう。「ヴァ―チュアル・リアリティ」という言葉は、まさにこの観念の視覚化という事態を指し示す言葉であると私は思うのです。「ヴァーチュアル」という語は、「仮想の」という意味と「実質的な・事実上の」という意味をもっています。「仮想」と「事実」の両方を意味する、とても興味深い語です。そして、その語源である「ヴィルトゥス」(virtus)というラテン語には「力」という意味があります。視覚の作用ないし力が、見ることのできる観念世界、実質化ないし実体化した観念世界を生み出している。映画の発明によって身体的制約から解き放たれた視覚は、その力によって、いまや独自の観念世界を生み出すに至っている。CGをはじめとするさまざまな特殊効果を駆使して生み出される現代の映画作品は、いままさに、この段階にあるのだと、私は理解しています。

 

6.アウラの喪失・思考の高速化

 さて、ここで話題の方向を少し変えて、映画がその初期においてどのように論じられたのかを、ほんの一端ではありますが、ごくごく簡単に、ご紹介したいと思います。ご紹介したいのは、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin, 1892-1940) というユダヤ系ドイツ人の思想家による『『複製技術時代の芸術作品』(1936)という小論で述べられている映画論です。言うまでもなく、映画という芸術は、科学技術とそれと手を携えて急速に進展した工業化の産物です。科学技術は工業製品の大量生産を可能にしましたが、その大量生産は、芸術の分野にも及ぶことになります。芸術分野においても複製(コピー)の大量生産が可能になったのです。それは具体的には写真と映画のことなのですが、ここではもっぱら映画のことを指していると見なすことにしましょう。

 ベンヤミンの映画論の中で最も有名なのは、「アウラ」という概念の提示です。彼はこれを「どんなに近くにあっても遠い遥けさを思わせる一回かぎりの現象」と定義します。それは、たとえば、ルーヴル美術館でダヴィンチの「モナリザ」の前に立ったときに作品から感じられるオーラのことです。科学的な複製技術が成立する前、すなわち現代より前の時代において、芸術作品というのは、総じて現物ただひとつが在るのみで、芸術作品との出会いは、一回限りの「いま、ここで」の出会いでした。しかし、複製技術の到来によって「どれほど精巧につくられた複製のばあいでも、それが「いま」「ここに」しかないという芸術作品特有の一回性は、完全に失われてしまっている」とベンヤミンは言います。ひとつしかない芸術作品を前にしたときに感じられるアウラが失われてしまったと言うのです。

 このアウラという概念からは、いろいろな議論を紡ぎだすことができるでしょう。そしてそれは、実際に数多く行われています。しかしここでは、論点を二つだけ提示することにしたいと思います。

 第一の論点は、アウラにおける「いま、ここに」に関わる論点です。先ほど私は、映画によって視覚は空間的・時間的制約から解放されたと言いましたが、その解放は、とりもなおさず「いま、ここで」体験されるアウラの喪失に他なりません。というのも、その解放は、一回限りの「いま、ここで」の体験をフィルムに写し撮り(複製)、それをスクリーンに投影することによって実現しているのですから。視覚の解放とアウラの喪失が、このように表裏一体の事態であるとするならば、われわれはアウラの喪失と引き換えに視覚の解放を得たと言うことができるでしょう。だとすると、新たに封切られた映画を、それがDVD化される前に映画館に足を運んで観ることに価値を見いだす人は、映画において喪われたアウラを取り戻そうとしているのだとも考えうると私は思うのですが、いかがでしょうか。

 第二の論点は、これこそが写真とは異なる映画独自の論点になるのですが、映画が絶えず動いている動画であるということに由来する論点です。先ほど、映画によって視覚の観念化・観念の視覚化が生じたと言いましたが、そのことが却って観客の思考を妨げるという意見もあります。ベンヤミンはジョルジュ・デュアメルというフランスの作家の言葉を引いていますが、デュアメルは映画に対して「わたしは、自分が思考したいことをもはや思考することができない。たえず動いている光景がわたしの思考の場を奪ってしまう」という嘆きをもらし、映画を嫌ったのでした。ベンヤミンはこれを映画の「ショック作用」によるものだと説いています。しかし、映画は観念・思考の視覚化であり、しかもその視覚は空間的・時間的制約から解放された視覚なのでした。だとすれば、映画がスピーディになっていくのは、たとえそれが映画初期にはショックとして受けとめられたとしても、自然な成り行きだと私は思います。そして、観客はこの映画の高速化に概ねよく順応していると思います。今日のわれわれは映画における息もつかせぬスピーディな展開をむしろ好意的に評価しており、思考が映画についていけないという嘆きをもらす人は比較的少数になっているのではないでしょうか。だとすれば、映画は、その歴史をつうじて、観客であるわれわれの思考の速度に変化をもたらしてきたと言えると思います。

 以上、映画による視覚の空間的・時間的制約=身体的制約からの解放、それによる視覚の観念化ないし観念の視覚化、そして観念・思考の高速化というのが、今回私がお話させていただいたことの概要となります。この先、話はなおも、さまざまな方向に展開可能かと思いますが、それはここにおられる皆様方に委ねることにして、私の話はここで終わらせていただきたいと思います。

ご清聴、どうもありがとうございました。