今日は、S1(エスワン)とS2(エスツー)タームの成績発表だった。

(東大は2014年度から、前総長の肝入りで、夏学期、冬学期の2学期制をやめて、S1,S2,A1,A2の4学期制になったのだ。)

 

先生方の評価はとても良かった。毎回授業にまじめに出て、それなりのレポートが書ければ、評価はいいに決まっている。

しかしそれはそれ。

 

将来、学会で発表するとしたら、あんなんじゃあ全然ダメだ。もっと実力をつけないとダメだ。

 

では、どうやって文学者としての実力をつけるのか。

 

当たり前のことだが、たくさん読んでたくさん考える、それに尽きる。

 

バカみたいだが、量は質を生むと信じて、やるしかない。

 

そしてその量を支えるものは、何と言っても「好き」という気持ちに尽きるのだろう。

好きじゃないことを長時間続けるのは拷問でしかない。

 

大量の時間、打ち込めるほど好きになれる作品なり作家を見つけることが、文学研究の第一歩であることは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

学期末はいつもレポートに追われる。フランス文学科だと、だいたいが、4000字程度で書けと言われる。別に4000字書くこと自体は、それほど苦痛ではない。苦痛なのは、「大学院に入って、この程度か」と思われないようなレポートに仕上げなければならないことである。

 

しかし、そんなことを言ってもいられない。締切が迫る。もう「何と思われてもいい」と思って提出する。それがほとんどである。自分の能力のなさを思い知らされる。自分にとって困難なレポートは、いっそ提出するのをやめてしまおうかとも思う。(実際にやめてしまう学生もたくさんいる。) 負けないぞ。絶対全部提出してやる。その心意気だけで、何とか書き上げる。苦しいってこういうことなのか、とも思う。

 

提出はたいていがメールで添付ファイルにしてだ。先生によっては、コメントをつけて、メールで送り返してくれる。そこでまた、打ちのめされる。私の文学に対する取り組み方なんて、そんなものなのか。これまで学期中に一体何をしていたのだ。(もちろん、まじめに授業には出ていたが、問題意識を持つとか、それについて沈思するとか、そんなことを圧倒的にさぼっている。)

 

レポートを出すというのは、自分のバカさ加減を先生方にさらして、いかに自分がダメなのかを相対化して再確認するいい機会なのだ。

 

 

 

 

人の価値は、

どれだけ正しいことを主張できたかではなく、

どれだけ人の心を軽くするような言葉をかけられたかで決まる。

だから私は、人の心が軽くなるような作品を世に送り出したい。

ロートレアモンことイシドール・デュカスの『マルドロールの歌』を学部の授業で購読している。

「購読」とは翻訳とは違い、正確に意味をとる作業のことである。

 

しかし、この授業は「購読」もするのだが、解釈も求められる。

正確に意味をとった後、作者が何を言いたいのかを自分なりに解釈することが求められるのだ。

 

特に「詩」に関しては、解釈についてのコメントが重要であるから、予習が大変だ。

 

次回、びっちり8ページ分、担当することになった。

毎回すすむのは3ページ程度なので、2倍以上だ。

さらに、いつもと同じ時間でやりたいので、工夫して、

一時間で発表しなさいと言われてしまった。

 

この一週間ずっと、この作業にかかりきりである。

大変だ。しかし大変な分、得ることが多いのも事実だ。

「詩」を読む筋トレをしているような感じだ。

 

明日発表なのに、時間がないのに、

こんなときこそ、ついついこんなふうに関係のないことに

時間を費やしてしまうものなのだ。

一念発起して、東京大学文学部の南欧科に学士入学した。卒業して、今度は仏文科の大学院に入学した。

 

私の毎日はミラクルの連続だ。それなのに、

文学部に入ったのに、この貴重な毎日をどうして文章で残そうとしなかったんだろう。

 

2013年4月に東大文学部に学士入学。

2015年6月に家族がステージ4の末期がんであることが判明し、一年間の休学。

この一年間は自分の能力のすべてを家族の闘病に捧げることとなった。

(家族のがんは奇跡的に消えた。今現在もがんの兆候は見られない。)

2016年3月にイタリア語学についての卒業論文を書いて、東大卒業。

2016年4月にフランス文学を志して、東大大学院に入学。

2016年4月の熊本地震で母の実家が被災し、大学を一年間休学。

2017年4月に復学。

 

私が大学に入学してから現在までの4年間をざっと書くとこんなふうになる。

今は東大仏文科の修士1年である。

 

東大に学士入学をして、私に起こったミラクルを挙げると、

・年下のフレッシュな友達がたくさんできた。

・困ったときにいつでも相談に乗ってくれる信頼できる教授がいた。

この2点に尽きるだろう。

 

なぜなら、この出会いなくしては、家族の末期がんと熊本地震の被災という人生最大の試練を乗り越えることができなかったからだ。

 

この4年間の東大でのミラクルな日々を、何かに書きつけなかったことを悔やむよりも、書こうと思った今、どんな形でもいいから書いてみたい。

それがこのブログを始めたきっかけである。

 

これからどんなペースで何を書くのかは、まだ私自身にも未知数だ。

だけど、とにかく始めた。それが大事なんだ。