陣痛室に入ったのが、8:40分くらいだったろうか。
このころには、嫁は少し歩いては腰が痛かったり、陣痛の波がきたり、
ということで立ち止まり、もろもろの波が去ってからまたちょこちょこと歩幅せまく
歩き出すという連続であった。
陣痛室には6台のベッドがあり、
もちろんすべてにカーテンがかけられていた。
我々は入り口かたわらのベッドに通され、
奥のベッドにもう一人いるようすであった。
嫁はなにやら低周波治療器につかう患部に貼るパットのようなものを、
看護士さんに腰やらマタやらに貼られていた。
それは、心電図を表示するような機械からのびていた。
貼る場所を動かすたびに、心音が近付いたり遠のいたりしており、
一番聞こえるところに、ベルトで固定されていた。
「ではこのまま1時間ほど様子見ましょう」
ということで、放置。
この機械は陣痛の来る間隔を計測する機械で、
タイムリーに紙にそれが印刷されてくる。
また、機械に数字が表示されており、
嫁が「あ、(痛みが)来る!」という時には、
その数値が、20、30、40...と一気に上がっていくのである。
なんだか、予知能力をもったようで、ちょっと俺は楽しくなってしまい、
「お、そろそろ来るぞ」
と嫁に何度か予期しながら言っていたのだが、
おそらく、うきうきした表情でもしていたのであろう。
他人事に聞こえたのか嫁がどんどん不機嫌になっていったため、
何度目かでそれはやめた。
さて、この後は、子宮口が10センチまで開くらしいのだが、
10センチまで開ききる前にいきんで生もうとすると、子宮口が裂け、
出血多量となり、それこそ命にかかわることとなるらしい。
なので、10センチまで開ききるまでは、ただただ、
こうしてただ痛みに耐えるしかないようなのである。
事前にもらっていた出産に際する心得を読む。
「子宮口は一時間に1センチずつくらい開きます」
……嫁よ、7時間とりあえずがんばってみよーか。
現時点で嫁は、すでに10分おきをきった陣痛にたいし
「いたいいたいいたいいたい」
と激しいあぴーる。
俺も嫁が苦しむたびに、腰をさするが、いまいち効果なし。
そのとき、近くに置かれているてにすぼーるを発見。
知人の出産立会い経験のある男友達に聞いたように、
お尻の穴にテニスボールを力強く押し付けてみた。
「いたいいたいいたいいいたたたたた……あ、ぼーる、いいかも」
とのこと。
どうやら胎内でどんどん降りて来ている赤ちゃんが、
骨盤やら、胎盤やらを押し開きながら出てきているため、
ケツの穴も内部から押し広げられ、痛いのだという。
押し付けてあげることで、むりやりな開かれ方が緩和されるのであろう。
それからは、
腰をさするのもなんでも、まず、テニスボールありきになり、
途中からあてがうのも億劫になったので、
嫁にテニスボールにとりあえず座ってもらって、
腰やらさするなりおすなりすることにした。
10:00を過ぎた頃には、
5分おきには陣痛が来るようになっており、
部屋の中は嫁の激痛アピールシャウトが響き渡っていた。
一方で、奥の部屋の人は、
だんなと、二人の子供とわきあいあい。
話の雰囲気からやはり3人目の出産らしく、
初産とこんなにちがうのか、
と驚かされた。
ちなみに嫁の5分置きに来る激痛アピールシャウトは、
15:30をすぎるまで続いた。
その間に嫁は食事はのどを通らなかったので野菜ジュースで空腹を満たし、
俺は外出してらーめんを食べ、戻ってきた。
15:30からいよいよ出産したのか、
というともちろん、子宮口が開いていないのだから、そういうわけではなく、
陣痛の間隔が5分おきでなくなり、ついに、
部屋にはインターバルなしの叫び声が響き続ける事態へと変わるのだった。
【つづく】
そういえば2010年12月末に、がきんちょが生まれた。
おめでとう、ありがとう。
嫁の妊娠が発覚し、日々大きくなる腹を見ても、
こんな俺様にがきんちょが生まれるなんて、と、その腹と成り行きを
「ほーほー」
他人事のように眺めていたのだが、
こんな俺にも、がきんちょが生まれた。
12/5(土)午前8時
「なんか調子がおかしいかも、おなか痛い」と嫁。
どうやら妊娠してからしばしばきていた「腹が張る痛み」というものらしい。
なんだろう、おかしな話だ。
たしかに当初の予定日は12/5、その日である。
しかし、予定日が近付くにつれ、どんどん延期され、
12/2(水)の検診で嫁の予定日は12/20にまで延期してしまっていたのだ。
しかし、その痛みは現在、20分おきに起こっている様子。
それにしても、以前から起こっている、腹が張る痛み、と同じというのも気になる。
もしかして、切迫流産の前兆か?
陣痛は、この痛みの感覚がだんだんせばまってくるものと聞いている。
そろそろか? それとも切迫流産の前兆か?
今日は俺には友人のLIVEに行く予定が入っているが、しかたない。
もう何ヶ月も前から楽しみにしていたが、予定日とかぶったため、直前までけつろんを待ってもらい、
結果、一週間前に
「どうやらまだまだウマレ無そうなので、行きます!!」
と言って、あらかじめチケットはもちろん、メンバーTシャツの先行購入までしたLIVEだった。
「陣痛が始まっても16時間は生まれないらしいから、行っておいでよ」
と嫁は行ってくれたが、そんな雑誌や本の知識なんぞ、俺から言わせれば、
三流商業誌の「モテモテマニュアル」と同じくらい信用ならん。
実際、前兆なく切迫流産ですぐに出産した友人もいるくらいだ。
やむをえず断りのメールを入れ、嫁のその後の様子をまった。
しかし、そのまま24時まで、痛みの間隔は20分のまま、その日は特に変わりなく過ぎていった。。。
12/6(日)午前0時
そのときは突然、というか、改めてやってきた。
「ん、この痛みはいつもと違うかも!」と嫁。
そうなん? と俺。
「どちらにせよ、こういう痛みが5から10分間隔にならないと、病院行っても返されるらしいよ」と嫁。
どうやら、子宮口が開き始めるのがそのぐらいの痛みの感覚になったときらしく、
3センチくらい開いたら、陣痛室で出産を待つ状態になるという。
で、その3センチくらい、というのが、5から10分間隔になったときらしい。
そのときは、というと、前日と同じ20分感覚。
ただし痛みの種類が違う、という。
これが夜中の間やってくることになった。
痛みがやってくると、嫁は腰をごしごしとさする。
おさまると、やめる(痛みの来た時間と去った時間をメモする)、の繰り返しが連続する。
20分後にまたさする、俺おきる、俺もさする、おさまるらしく嫁の「大丈夫」の言葉、静かになる、俺も寝る
またさすりはじめる、俺おきる、俺もさする、「大丈夫」の言葉、静かになる、俺も寝る
またさすりはじめる……。
これの繰り返しが延々と続き、午前6時までつづいた。
続いた頃には10から15分くらいに間隔がなっていた。
「でも、まだ5から10分にはなってないから」という嫁のようすは睡眠不足と痛みに耐えてきたことで、
疲れがハッキリ見えていた。
おそらく、これが陣痛なのか、切迫流産のようなものなのかさっぱりわからない
という初産の不安による心労もあったかもしれない。
「とりあえず、病院に連絡してみなよ」
連絡してみると結局、診察してみないとわからない、とのこと。
そりゃそうだ。
嫁を連れ、万が一のことも考え一泊分くらいの荷物をまとめ、
それらを両腕と背中にたずさえ、8時半に開くのを待って病院へ。
タクシーで病院に着き、待合室へ。
通常の診察を受けに来ている客の中で、
両腕にパンパンにふくらんだトートーバッグや、ビジネスカバンやリュックサック(そんなカバンしかうちにはない)
を背負い、嫁が診察受けている間、待合室で立ち尽くす俺。
あきらかに白い目で見られている。
「本当に入院なの?」「どうせ嫁の痛がるのに耐えられず早まって来たんじゃないの?」
「帰らされちゃう、てきな?」
といった「初産の夫婦によくある焦った行動」を見るような視線をひしひしと感じる。
いや、むしろ頭の中では嘲笑と一緒に言っていたのかもしれない。
決して「新宿の路上で雑誌を売っている妖精さんたち」に似た格好だから向けられた視線ではない、
と思う。
そんな視線の弾雨を受けたにもかかわらず、
これで嫁が入院しなかったら、俺はこのままきびすを返して帰らなくてはいけない。
「でた」
と連中に思われながら帰るのなんて、嫁のせいではないにせよ
まっぴらごめんだーーーーーーーーー。
そんなことを思い悩みながらいたたまれない気持ちで立ち尽くして壁を見ている。
やがて、診察を終えて俺のほうへ向かってくる嫁
「もう子宮口が3センチ開いているから、このまま入院だって」
俺は、さっきとはうってかわり、なんとなく「ほらね」っといった感じで
うひひ、と
勝ち誇ったように二階の陣痛室へと上がっていった。
【つづく】
--本日の嫁--(出来事)
がきんちょを添い寝しながら寝かしつけていた嫁。
俺が風呂から出てみると、
♪ふんっふふーん ふんっふふーん
ふんっふふんふふーん♪
とミッキーマウスマーチの一箇所をリピートでくちずさんでるようす。
歌っているようだが歌詞が聞き取れないのでちかづいて聞いてみると、
曲にあわせて
♪あなたは だんだん
ねむっく なーぁる♪
と歌ってた。。。

